厳しい封建制度があった時代は、庶民は、よほど引き寄せが上手くないと自由で幸福になれなかったが、そんな時代には、庶民が引き寄せの方法を知る術はなかった。
だが、日本もだが、中国あたりでも、潜在意識を神様とかタオ(道)として同調し、引き寄せを行う思想が庶民の間にもあった。
だから、物質的な余裕が出来てきた時代には、案外に庶民は幸福に過ごしていたのだ。
神道の道(トウ)と中国の道(タオ)の読みが似ているように、神道と道教には似たところがあると指摘されることがあるが、私もそうであると思う。

まあ、二宮金次郎は、道教の根本思想とも言える、老子の無為自然に対し、「畑は人が手を入れなければ荒れ、家は人が手を入れなければあばら家になる」と言って否定したが、それは金次郎がひねくれ者だったからというよりは、彼の立場(農業のリーダー)からすれば仕方あるまい。
そして、無為自然の引き寄せのノウハウを、昔の日本人は案外に理解していて、活用していたが、明治維新、そして、敗戦によって、それは完全に失われてしまった。
我々もまた、戦後教育によって、引き寄せが全く出来ない頭の構造になっている。

とはいえ、学校やテレビで教えられた思想を完全に捨て、昔通りに潜在意識(神様)と仲良くし、潜在意識に頼れば、すぐに引き寄せがうまくなる。
昔から、日本人は、神である自然を崇拝し、謙虚になることで神=自然に守られてきた。
エゴの考え方を引っ込め、そこにもいる、ここにもいる神様を敬い、頼んだのである。
同じように、ただ一切の思考を捨てれば、万能の潜在意識があらゆる恵みを与えてくれる。

現代人で引き寄せが上手い人には2種類あり、1つは、ひたすらアファーメーションを唱える人で、もう1つは、今この瞬間・・・つまり、中今に生きることを心掛ける者である。
アファーメーションは、多く唱えれば唱えるほどよく、それには、多少の努力というか根気がいる。とはいえ、唱えれば良いだけである。
中今に生きることはもっと楽で、ただ、目の前のことに意識を全て注ぎ込めば良いのである。
昔の優れた日本人が行っていたのは、ほとんど、中今に生きる方法だった。
歩いている時には歩いていることをしっかり意識し、食べている時には、食べていることをしっかり意識する。
仕事をする時は仕事に心を注ぎ、色事ですら、大真面目に取り組んだことが地道な調査で明かされている(表向きの調査では出て来ないが)。
昔、日本には仙人がいたと言われるが、仙人のように見なされる特別な人間がいたということだろう。
尚、天狗や導師も、詳しくは述べないが、自然観やコミュニティーの持ち方の違いがあるだけで、仙人と似た者達であったと思う。
よって、ここでは、天狗も導師も、仙人に含めて話す。
仙人はアファーメーションの人である。
どちからというと、真面目で融通が利かない、それに・・・やや不幸な人生を送ってきた人なのかもしれないと思う。
仙人は、常に口元に呪文を唱えていたと言われるが、これも本当はアファーメーションであったのだと思う。
昔の仙人的人間がどんなアファーメーションを行ったかは知らないが、今で言えば「お金がある」とか「俺は美人に惚れられる」みたいなものだったと思うのだ。
そして、そのようにやれば、我々も即ち、富の仙人であり、恋愛の仙人になれる・・・いや、科学的見地から言えば、願った時にそんな超人間、即ち、仙人になっているのである。
いずれの方法でも良いが、それらの方法に対し、無駄に神秘的な解釈をせず、それでいて、日本本来の万能の力に守られた楽天的な態度で、現代的な引き寄せを行えば良いのであると思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ