本人は、引き寄せなんてことを言ったことはないと思うが、私が、一番の引き寄せの名人として参考にしているのは、やはり、UFO研究者の矢追純一さんである。
矢追さんは、自伝的著書が2冊あるのと、Webのインタビュー記事で、考え方についての情報を得易いが、とにかく、単純で簡単である。
まず、「僕は頭が悪いので、考えることを諦めた」と言う。
世の中には、自分は頭が良いと思っている馬鹿が多いが、人間である限り、アインシュタインだろうがホーキングだろうが大したことはない。
また、人間には何の力もない。
だから、矢追さん流には、大きな流れに乗れば良いということになるが、これは、荘子やラマナ・マハルシら聖賢が言ったことと同じだ。
ただ、矢追さんは、目標ははっきりさせるところが、荘子らと異なると言えば異なる。
たとえば、大学受験に関しては、矢追さんは高校時代、妹2人を養うのに忙しく(両親はおらず資産もない)、高校には全く通っておらず、受験勉強もほとんどしなかったらしい。
だが、東大と中央大学法学部(司法試験合格者は東大以上)を受験し、昔のことだから、受験科目の多かった東大はそれほど本気でなかったらしいが、中央大は合格と自分で決めていたので、受験後、受かっているのは当たり前として、結果発表のことは忘れて旅行に行き、帰ってきたら合格通知が来ていたという。
私は、そもそも、中央大法学部合格というのは、矢追さんが考えた目標ではなく、潜在意識が出してきたものだと思う。
こう言うと、「そうじゃない」と思う人もいるだろうが、人間が自分で思考をしているわけではないことは、科学的にも分かっているようである。
まあ、ここらは、どっちでも良く、自分で納得した目標・・・つまり、見栄とか過ぎた欲ではない目標であれば良いのである。
たとえば、高級車が欲しいという場合も、単に、それが楽しいなら良い目標だが、優越感を満たしたくて乗りたいなら、潜在意識の目標ではなくエゴ(自我)の目標なのである。

矢追さんは、10歳くらいの時、戦後で治安が乱れまくり不穏な状態だったことは日本の戦後以上だった満州で、母親に、「自分で稼いで来い。稼がないと家に入れない」と言われたのだが、なんとそれは、4歳の妹も同じだった。
そして、やるしかないと決めたらそれが出来たし、母親は母親で逞しく生きていた。
また、小中学校では、家で勉強することは許されなかったが、成績はオール5が当然と決めつけられ、4でもあったら殴られた。
そして、上で少し書いたが、高校生の時に母親が死ぬと、妹2人を引き取って自分で養った。だが、悲壮感は全くなかったらしく、深夜まで働いた後は、毎日、飲みに行っていたらしい。
これも、やれるかどうかなど全く考えず、出来るのが当たり前と決めつけていたのだろう。
かといって、必死で努力したとかいうのではなく、気楽にやったのだと思う。
このように、矢追さんは、若いうちに、余計なことは考えず(考える余裕がなく)、ただやるしかない訓練をしたので、「考えることを放棄し、大きな流れに乗る」という人生哲学に自然に導かれたのだろう。

目標は、ごちゃごちゃ自分で考えるというのではなく、思い付きや行きあたりばったりで良いのだろう。
矢追さんが、UFO番組やUFO研究で有名になったのも、なりゆきと言えばなりゆきだ。
荘子も、いっさいをなりゆきにまかせろと言ったが、矢追さんの言う、大きな流れに乗るというのがそれなのだろう。
あるいは、潜在意識にまかせるとも言える。
なりゆきにまかせる中で、潜在意識から目標が送られてきたら、それをやれば成功する。言い方を変えれば、目標も潜在意識にまかせるのである。








  
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