思考を消せば、なぜかは分からないが、いろんな意味で良い状態になるとか幸福になるということについては、実は、多くの人が気付いている。
だから、渡辺淳一さんの『鈍感力』や、草薙龍瞬さんの『反応しない練習』といった本がベストセラーになるのだと思う。
これらの本は、タイトルから見れば、外部の出来事に対し、不要な思考や感情を働かせないことの重要さを説いているのだと思うが、逆に言えば、人々は、無用な思考や感情に苦しんでいるのである。
だが、本一冊の内容となると、実践は難しいだろう。
YouTubeでも、「思考を消す方法」みたいなものは多いが、試しに見てみたら、多くの動画は、最初の数十秒見るだけで、「難しい。出来ない」と分かるように思う。
だからといって、あまりに安直な方法も良くない。
思考や感情を消したいという願望は、アルコール飲料や覚醒剤の愛好者の多さからも分かるが、これらは、一時的な効果しかないばかりか、これらのものを過度に摂取したり、習慣化すれば、思考や感情の支配力が低下し、余計に苦しむことになる可能性が高いことは言うまでもないと思う。

尚、上で「思考や感情」という表現をし、「思考」と「感情」を別物としたし、一般的にもそう思われているが、これらはお互いを誘発し合うし、根っこは同じなのである。
これらをまとめて「想念」と言った方が的確だと思う。
消す目標は想念で、想念を消せば、引き寄せも万能であり、だから、昔から、密教的な教えなどでは、「無になれば不可能はなくなる」と言われているのである。

また、昔から、想念を起こさない言葉の響きというものが考えられ、近年では、科学的にも研究されている。
それは、民族や育ちといったもので異なるように思われるが、案外に共通する場合が多い。
たとえば、心理学の研究から、「ナ・ダーム」という言葉が作られ、心の中で「ナ」と唱えながら短く吸い。「ダーム」で長く吐くと想念がなくなっていき、元気になるのを簡単に感じらfれる。
呼吸と心もお互い影響し合うので、呼吸法と組み合わせることで効果が高まるのである。
これだけでも、丹念に実践すれば、かなりの効果がある。

研究の詳細は忘れたが、薄目で見ることで想念が微かになることも分かっている。
有名な画家のムンクは、そのことを直観的に知っていて、よく利用していた。
彼の初期の傑作『病める子』は、神秘的な雰囲気があるだけでなく、病気の少女の横顔に驚くべき高貴な輝きを感じるのだが、この絵は、ムンクの薄目の視界を描いたものなのだ。

他にも、胸に手を当てる(片手でも良いが両手の方が効果が高い)、また、特に他人に対しては、額や頭頂に手のひらを当てることでも、当てられた人の想念は弱くなる。
好きな人に頭を撫でられると嬉しいのは、実のところ、想念が消えるからだ。

ぼーっとすることで想念を弱くする、あるいは、消してしまえる者は、クリエイティブな職業もだが、一流の科学者やスポーツ選手、あるいは、武道家にも多いのである。
アインシュタインなどがそうだと思うが、天才というのは、鋭いと言うよりは、どこかぼーっとした雰囲気がある場合が多いのではないかと思う。
学校でぼーっとしている生徒は教師に怒られるが、そんな生徒の中には天才がいるかもしれないのである。

そして、最も重要なことは、「想念を消せば楽しい」「想念を消せば気分が良い」「想念を消せば新しい世界が広がる」ということを覚えておくことである。
余計なことかもしれないが、特定の考え方をすれば「楽しい」「気分が良い」「新しい世界が広がる」とそそのかすのは宗教である。学校も国家も会社も、程度の違いはあれ、宗教なのである。








  
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