私は、1番かどうかは知らないが、引き寄せの達人と言えば、間違いなく、UFO研究家として一世を風靡した矢追純一さんだと思う。
まあ、本人は引き寄せなんて言葉を使わないし、もしかしたら、引き寄せという概念に興味がないかもしれないが、言ってみれば、引き寄せだけで自由に生きてきた人だと思う。
尊敬というのもおかしいが、私が無条件で崇拝する人物がいるとしたら、この矢追さんである。
矢追さんは、高校に入学した頃、母親が亡くなった(父親は10歳くらいの時に亡くなっている)のだが、2人いた妹を自分で養ったらしい。
それで、高校には全く通わず、1日中働いていたが、別に辛くもなかったらしく、深夜に仕事が終わったら毎日飲みに行っていたと言う(改めて言っておくが高校生だ)。
全く勉強もせず、名門、中央大学法学部に現役で入学したが、受験の際は、合格と決めつけ、受験後は旅行に行き、帰って来た時に合格通知を見たと言う。
大学も4年できちんと卒業し、自分は何もしなかったが、おかしな流れで日本テレビに入社し、UFO特番やユリ・ゲラーの超能力番組等をヒットさせる名ディレクターになり、有名になった。

随分優秀な人だと思うかもしれないが、矢追さんは「僕は頭が悪いので、考えることを放棄した」と言う。
ただし、それ(頭が悪い)は誰に関しても言えることらしい。
だから、自分の頭に頼って頑張ったって駄目なんだと。
矢追さんは何かのインタビューで、「人間はパソコンみたいなものだが、大した性能のパソコンじゃない。だから、自分で計算するのをやめて、大きな流れに乗って、流れにまかせてしまえば上手くいく」といったようなことを語られていた。
矢追さんは、神様という言い方が好きでないようだが、やはり、私が崇敬する関英男博士(この人は、人が良過ぎて騙されやすかったのだと思う。それでかなり怪しいことも言ったのだと思う)は、「神様はスーパーコンピューターみたいなもので、我々は性能の低い端末だから、神様につながってさえいれば良い」、つまり、神様にまかせてしまえば良いといったことを言われていたと思う。
2400年前の中国の賢者、荘子の教えは「万物と共に流れよ」だった。

『燃えよドラゴン』での、ブルース・リーの有名な言葉「考えるな、感じろ」は、実際は、考えなければ自然に感じるのである。
それを言わないから、多くの人が「どうやれば感じることが出来るのだろう?」と「考えて」しまって駄目だったのだ。
いかなる賢者の論も、集約すれば「考えるな」になる。
伝説によれば、玄奘三蔵は、中国からチベット経由でインドに行くという、登山のプロでも難しいルートでインドに行き、帰ってきたが、出発の際、観世音菩薩に、般若心経の呪文を教わり、観世音菩薩の指示通り、それをずっと唱えていたらしい。
そんなもん唱えていたら、考えることなんて出来るはずがない。
それで、三蔵は、山賊も、獣も、雪も嵐も、その他あらゆる困難を乗り越えたのであるかもしれない。
岡田虎二郎が、「念仏をするなら、生活しながら念仏するのでは不十分で、念仏しながら生活するようでないといけない。静坐をするなら、生活しながら静坐するようでは不十分で、静坐しながら(実際は、腹に力を込めながら)生活するようでないといけない」と言った真意も「考えるな」ということと思う。
中村天風が「一瞬も怠らず、肛門を引き締めよ」と言ったのも全く同じだ。しかし、もちっと実現可能なことを教えろよとは言いたい(笑)。
とにかく、考えることをやめる方法を何か持てば良いのである。
矢追さんのように「僕は頭が悪いから」という理由付けをするのも手であると思うし、案外、一番簡単かもしれない(実際は、矢追さんはかなり頭が良い方だろう)。
仮に、自分のIQが200だとしても、宇宙のメインコンピューターの方はIQが(たとえばだが)1兆とか1京とかで、比較にもならないので、ただ、ぶら下がっていれば良いのである。








  
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