自動車の運転は、まだ慣れてなくて、多少たどたどしい時が面白いものだ。
だが、慣れてしまうと、多くの人は、運転が退屈になってしまう。
これは、何ごとも同じで、新鮮さがなくなると面白くなくなるのだ。
その理由について、英国の作家コリン・ウィルソンは、運転などの作業は、慣れてしまえば、自分の中のロボットが代行するからと説明し、それもある意味正しいが、もうウィルソンの理解を超えなければならない。
なぜ慣れたことが退屈かというと、余裕があるのでよそ事を考えるからだ。
よそ事というのは、過去に起こったことや、未来の空想である。
すると、心が「今」にいなくなってしまう。
この、心が「今」にいないことで、退屈・・・心がどんよりと活気がなくなるのである。
ところが、腕が痛いなどで、よそ事を考える余裕がなくなると、運転をしている「今」に集中するので、案外に悪い気分にはならないのである。

いわゆる、「マンネリ化」し、「刺激がなくなる」と、何ごとも面白くなくなる。
「マンネリ化」し、「刺激がなくなる」と、上の運転の場合と同じく、よそ事を考え、「今」に集中しなくなるからだ。
それで、たえず刺激を求め、新しいことをしたがるのだが、大抵の人は、間違った方法を取る。
自動車の運転で言えば、比較的良いやり方は、これまで走ったことのない場所に行き、新鮮な気持ちで運転することだ。
悪いやり方は、車をぶっ飛ばしたり、危険な運転をして刺激を求めたり、度々車を買い替えたり、車を買い替えないまでも、しょっちゅう内装を変えたりすることなどだ。そんなやり方では、すぐに飽きてしまう。
正しいやり方は1つで、車を大切にし、心を込めて運転することだ。
それには、たとえば、「車があってありがたいなあ」とか「運転は楽しいなあ」といったような素直な心を持つことだろう。
「ありがたいなあ」とか「うれしいなあ」という、穏やかな快の感情は、心を「今」に引き戻し、心が「今」にあると、心は活気があって、きれいに流れるのである。

人間は、心が「今」にあると、心の振動数が高く、活気があり、心の振動数が高く、活気があると、望まなくても幸運を引き寄せ、その気になれば、世界を自由に創造出来る。
だが、日常に流され、仕事も遊びも恋愛もマンネリ化すると、そのことに集中しなくなり、過去や未来の妄想をして「今」に生きなくなる。
すると、運が悪くなり、世界に支配されるようになってしまう。
それを避けるには、上で、車の運転について、「心を込めて運転する」と述べたように、何ごとも、心を込めてやることだ。
今あるものに対して「ありがたいなあ」とか「うれしいなあ」と思うことは、まさに、心を込めることだ。
これは、言葉に出したり、あるいは、頭の中で、「ありがたいなあ」とか「うれしいなあ」と言えば、そんな気持ちになるので、こんな言葉を口ぐせにすれば良いのである。

小さな子供が、テーブルや机の下に潜り込んで自己満足して喜んでいることがある。
そんな子供は、心を込めて潜り込んでいるのであり、義務感でやっているのではない。
「今、テーブルの下に潜り込んでいる」と強く実感し、「今」を生きているので、心は活気づき、楽しくて仕方がない。
骨董品愛好家は、好きな骨董品(たとえば湯飲み)を持って見ていると、「私は今、これを見ている。今、これに触っている」という感覚を強く感じているのである。

つまり、楽しいか楽しくないかは、全て「今」を感じているかどうかだけの問題なのである。
そして、今を感じていれば、引き寄せの力が働くのである。
このことにいつ気付くかで人生は決まるのである。








  
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