いつも見ていて、存在を意識しなくなった物とか場所とか風景が、不意に美しく輝いて見えるという経験があるだろうか・・・というより、ないはずがないのだから、それを憶えているだろうかと問い直すべきだろう。
たとえば、心から嬉しいと思う出来事があった時に、何もかもが美しく輝いて見えるということがあると思う。
あるいは、朝早く起きて、頭がまだぼーっとしている時に見ると、見慣れたものが、何か非常に生き生きとしていると感じるかもしれない。

そんな美しさを、皆、忘れてしまい、普段は気にも止めない。
その重要性に気付きもしないのだ。
「アラビアのロレンス」で知られるT.E.ロレンスは、自叙伝であり、自分の戦記である『知恵の七柱』で、朝、思考が戻って来る前に見た砂漠の圧倒的な存在感を語っているのを、コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』で引用していたが、ウィルソンも、その価値に気付いていたのだろう。
だが、ウィルソンは、それの起こし方を明瞭に言うことは出来なかったように思うのだ。

その「経験」を最も鮮烈に語っていると私が思ったのは、「20世紀最大の詩人」と呼ばれた、アイルランドの詩人・劇作家W.B.イェイツの未完の書『まだらの鳥』の中で、イェイツが自分を投影した主人公マイケルが、船の甲板の上で見た、湖の上に浮かぶ精霊の少女の記述だった。
翻訳で読んでも、私は、その美しさに圧倒された。
たとえば、空気が澄み切り、その少女の服のひだの1つ1つが鮮明に見えた・・・といったことも書かれていた。

だが、そういったものは、その気になれば、いつでもどこでも見ることが出来るのである。
そして、それを見ている状態が、時間が消え去った今で、そこでは、人間が隠し持った力を解放し、世界の創造主になるのだと思える。

そのやり方を、とりえず簡単に言えば、「思考、記憶、観念のフィルターを通さずに見る」だけである。
言い換えれば「直接的(ダイレクト)に見る」ということだ。
いや、いきなりこう言われたら、誰でも戸惑うかもしれない。
それで、超能力者達は、「凡人に分かることではない」と言うのだが、これは、凡人とか天才とかではなく、人間にとって最も重要なことだ。
これを忘れたから、人間は虫けらの状況にまで陥り、世界は腐敗して滅ぼうとしているのである。
いつも見ている、壁や、家具や、畳や、床も、思考のフィルターを通さず、新たな目で見れば、ロレンス流には「意味が流れ込んで来る」ような、不思議な、そして、間違いなく魅力的な何かを感じるのである。
それを、昔の人は「天使がささやいた」と言ったのかもしれない。
もう少し考えて、よく分かるように書こうと思う。
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