今は手元にないが、ジャック・エンサイン・アディントンの『奇跡の時は今』という本を、昔、さらっと読んだのだが、その中に、非常に印象的だったので、覚えていることがある。
細かいところは覚えていないのだが、イエスが使っていた古代ヘブライ語には、時間の概念がなかった・・・そういったことが書かれていたと思う。
時間の概念がないので、全てが現在形なのだ。
だから、イエスが教えた「主の祈り」の中の「神の国が来ますよう」というのは、実は、イエスは「神の国は来ているのです」と言ったというのである。
これに関して、私は、何の説明も要らずに納得し、「ああ、これだ」と思ったのだった。

現代物理学では、時間というものに実体がないことが分かっている。
つまり、時間というものが本当にあるわけではないが、人間は、それがあるように錯覚しているようだ。

だから、イエスの言葉が書かれた『新約聖書』の『福音書』も、実は、全て現在形で書かないと真意が伝わらないのだろう。
コリン・ウィルソンが編集した『時間の発見』という本は、著名な5人の理学博士が執筆し、日本最高の物理学者の1人だった竹内均氏が翻訳した。
ちなみに、ウィルソンは、日本で言う中卒である。
この本の中で、時間というものは、人間の概念であり、テクノロジーの進化と共に人類の時間観というものが変化していることが書かれている。
つまり、やはり、時間に実体はなく、概念、あるいは、幻想に過ぎないのだ。

なぜ、人間が時間という幻想を持つようになったかについては、いろんな本に書かれているが、1つの考え方としては、全ては無秩序に向かうというエントロピー増大の法則(熱力学の第2法則)に、時間という概念を持ち込むといい感じになるので、人間は無意識にそんなことをやるのだという話がある。
つまり、時間の経過と共に、全てが無秩序になる(例えば、熱いコーヒーの熱が拡散してコーヒーが冷える)と考えると納得し易いのだ。
実際は、熱いコーヒーが先で、冷えたコーヒーが後にあるわけではない。同時にあるのだ。
鎌倉時代の禅僧、道元は、それに気付いていたので、「薪が燃えて灰になると思っているが、そう勘違いしてはならない。薪は薪で灰は灰だ。春は春で、夏は夏であり、春が夏になるのではない」と『正法眼蔵』の『現成公案』に記したのだ。

で、何が言いたいのかというと、我々の重要な呪文「神様の奇跡が起こる」を唱える際、「いつか奇跡が起こる」「3か月後位に奇跡が起きて欲しい」などと考えてはいけないということだ。
アディントンの著書の通り、「奇跡の時は今(THE TIME FOR MIRACLES IS NOW)」なのである。
宇宙に時間はない。
ならば、奇跡は今起こるのである。
いや、もう起こっているのである。
そう思いながら唱えれば、奇跡は即座に起こるのである。








  
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