「サプライズ(サプライズ演出)」という言葉は、近年の日本では「嬉しいドッキリ」「善意のビックリ企画」といった意味で使われることが多い。
しかし、それは、映画やドラマのようにはいかず、された当人にしてみれば、嬉しくなかったり、迷惑だったり、困ることが多い。だが、された人は礼儀上やしがらみで、喜んだフリをしなければならないのだから最悪だ。
なぜ、サプライズがうまくいかないのだろう?
それは、はっきり言うと、サプライズを仕掛ける者に、あらゆる意味で能力がないからだ。
だから、私が、サプライズの計画を聞かされると、まず、「やめとけ」と言う。
やられる側に損害があるに決まっているからだ。
アニメで、可愛い女の子が好きな男の子のためにお弁当を作ってきて学校で手渡すシーンを何度か見たことがあるが、そんなものを見る度に、私はいつも、「もう弁当があったらどうすんだよ」と思ってしまう。これで困った経験がある者もいるはずだ。
また、困るのは、サプライズをされる当人だけではない。
馬鹿がサプライズをやると、周囲で物凄く迷惑する人がいるものなのだ。

そもそも、誰も、人間に対してサプライズなど期待していない。
たとえ可愛い女の子であろうが、いきなり黙って弁当を持ってくるのではなく、「明日、お弁当用意しますね」と言ってもらえるのが有難い。それなら、不要な場合は「不要」と言える。
「明日、お弁当用意しますね」という申し出自体がサプライズになるようでも駄目だ。それを自然に言えるほど、普段から親切にしてこそ、恋愛もうまくいく。
まあ、アニメのヒロインのような人間離れした美少女で、しかも、性格が良いというか、便利な存在の場合は別なのかもしれないが、

サプライズをうまくやるには、恐るべきほどの能力が必要なのだ。
と言うより、あまりに高い能力を持った者のやることは、全てがサプライズだ。
そんなことが出来る存在を神と言う。
ところが、愚かな人間は、神に対し、予想出来ることを求めてしまう。
だから、こんな話がよくある。
神様に何かをお願いするが、それが叶わなかった。ところが、その後で、願ったことの千倍も良いことが起こって歓喜する。
これこそが、神様のサプライズだ。
それは、どんな時に起こるのだろうか?
それは、神様へのお願いが叶わなかったと思った時の人間の様子次第だ。
願いが叶わなかったと思った時、不満を持つ者に、それ(神様のサプライズ)は起こらない。
その時、立派な態度でいる者に、それが起こるのだ。
がっかりするのは仕方がないかもしれない。だが、その次の瞬間に、どう思うかで世界は変わるのである。

上のことが理解出来れば、「神様の奇跡が起こる」と唱えれば神様のサプライズがある。
また、なぜ、この言葉を唱えても何も起こらない者がいるかも分かると思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ