最近私は、可能であれば、何時間でも、立って、腕振り運動や四股(佐川幸義流の、ほとんど足踏みだが)を踏んでいたら、幽体や霊体に変化が起きたように感じる。
大東流合気柔術の先生であった、達人、佐川幸義のある弟子が寝食を忘れるほど四股を踏んでいたら、後から入門したのに関わらず、佐川以外の誰も彼を倒せなくなったという。

岡田虎二郎は、「念仏をするなら、生活しながら念仏をするのでは十分ではない。念仏をしながら生活するようでないといけない」と言ったらしいが、そんなことが可能だろうか?
実際には不可能だろう。
しかし、やろうと思えば良いのである。
親鸞は、念仏を唱えようと思えば良いのであり、実際に唱えなくても良いと言っている。
ただし、思いだけは、常に念仏を唱えようと思うことが大切だ。
私も、1日24時間、四股や腕振り運動をやろうと思ってみて、それがよく分った。
出来るだけ本当にやるのだが、実際にやっている時間は、せいぜい1日3時間というところと思う。
しかし、気持ちは1日24時間、やる気でいることだ。

1日24時間、念仏を唱えるべきだが、実際には唱えなくても良いと言われて、
「そうか、実際には唱えなくていいんだ。じゃあ、唱えた気にだけなろう」
と思うような者は、低レベルな何も成し得ない人間だ。
さりとて、「ずっと念仏を唱えないといけないのに、ほんのわずかしか出来ない私は駄目だ」と悲観したり、もっと唱えなければと、あまりに必死になる者も駄目なのだ。
念仏を例に挙げたが、何ごとも同じである。
どんなことも、1日24時間、本当にやるつもりでいてこそ本物になる。
佐川幸義も、四股を踏めと指示した弟子に対し、
「本当にやっているのか?ちっとも強くならないじゃないか?私なら、寝ないでやって2週間で結果を出すぞ」
と言ったが、もちろん、本当に寝ないで四股を踏めるわけがないが、そのつもりでやることが肝心だと言っているのである。

この「1日24時間やる気持ち」を持つことが出来れば、いかなることでも達成出来る。
仙人にだって大師にだってなれるだろう。
この気持ちをもってこそ、道は開ける。
まずは、やってみることである。








  
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