脳に嘘のデータが入ると、脳の力には制限がかかる。
もし、脳に全く嘘のデータがなく、真実のデータのみが入っていれば、神のような力を発揮する。
ところが、「嘘のデータだって必要」という論がある。
それに関しては、こう考えると良い。
「嘘のラベルがついた嘘のデータは正しいデータ。真実のラベルがついた嘘のデータは嘘のデータ」であり、やはり、嘘のデータは脳の力を低下させるのである。
よって、あなたは、脳に真実のデータのみ入れなければならない。
尚、正しいということには、「真実」「真理」「真」「まこと」等といった言い方があるが、ここでは区別しない。

聖書や仏典や、その他の聖典は、読む者が、誤った解釈をすることで、脳に嘘のデータが入り易い。
さらに、宗教団体等によって、最初から、信者に誤った解釈を与える場合も少なくない。
また、悪意のない誤訳や転写ミスということもある。
ところが、脳は、いかなる間違いにも気付くのである。このことは、デカルトが『方法序説』の中で少し述べているが、そんなものだと思っていただけるとありがたい。
科学はどうかというと、前提理論を共有する者の間では真理であるが、前提理論は幻想とまでは言わないが、作り物である。
とはいえ、科学は必要なものなので、背を向けるわけにはいかないが、真理ではないので、脳に詰め込んでも、脳が神の力を発揮することはなく、むしろ、弱くなる場合が多い。

ゲーテやタゴールなどの詩も、十分に聖典に準じるが、彼らには育ちによる偏見がある分(つまり、彼らの脳にも誤ったデータがあった)、真理から外れていることが多いのだ。

脳に真実のデータを入れる良い方法として、何の解釈も加えることなく聖典を読むというものがある。
何の解釈も加えないと言っても、字面だけを追って読解しないという意味ではない。
モラルが崩れた今の人間には承服しかねるかもしれないが、とにかく「真面目に」読むこと、それだけだ。
素直な子供が、信頼する親や教師に読めと言われた時のように、思考のフィルターを通さずに読めば、真理のみが脳に入る。
子供が魔法のような力を持っていることは意外に多いのである。








  
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