俗説によれば、人間の脳は5%くらいしか使われていないと言われている。
これは、ほとんどの人は脳が本来持っている能力をほとんど発揮させていないという意味では正しい。
では、脳の能力を十分に発揮すればどうなるかというと、普通の人は、テストで百点を取るような、記憶力や計算力が高まったりすると思うのだろう。確かに、記憶力や計算力も高まるかもしれないが、脳の本当の力を考える上で、そんなものは、あまりに些細な能力だろう。
そこで、脳の力を示す難しい言葉や概念が生まれ、例えば、抽象化、概念化、マッチング、類推等といった思考の力について考えられるようになったが、これらはお互い関係し合っている。
だが、脳の力を一言で言えば、問題解決能力とでも言った方が良いと思う。
試験が0点でも、現実の問題を解決出来れば頭が良く、逆に、試験が百点でも、現実の問題が解決出来なければ馬鹿なのである。
学歴は凄いが、現実では何の役にも立たない者はいくらでもいるだろう。

優秀な人を「知恵がある」と言い、知恵がある人を「冴えている」とか言うが、何が冴えているのかというと、勘(直観)だ。
要は、勘、直観、第六感が優れた人が優秀である。
勘を発揮するにはデータも必要だと言われるが、それは、弁護士が、該当する法律を瞬時に引用するようなデータの使い方ではないし、Google検索のようなものでもない。
それどころか、高度な知恵や直観を発揮する時には、関係するデータを忘れてしまっていたり、あるいは、最初から知らない場合も少なくない。
だから、今、人気がある「どこにデータがあるんですか?」「誰がいつどこで言ったのですか?」といった論戦は、あまり程度が高くはなく、あまり賢い人の論議ではない。
まあ、論戦、論議とは、あまり頭が良くない者同士でやることである。
頭の良い人は論戦に参加しないし、やむなく論議を行う時は、何かエサを出してはぐらかすものである。
とはいえ、証拠もなく個人の思い込みを正しいと主張するような論戦すらあるらしいが、それはもう、人間ではなく猿に近いかもしれない。そんなものは見ないことを強くお勧めする。

脳がどんな能力を持っているかは、科学ではあまり分かっていないのだと思う。
それでも、脳が量子的な機能を持っていることが言われるようになり、脳が持っている能力は、見えない領域にまで広がるものであると推測されるようにもなったが、それで、脳の可能性はこれまで想像されていたような規模を超え、無限大と考えられるようにもなった。
脳の実力は科学では分からなくても、政治やビジネスや、あるいは、農業や漁業等の世界では、優れた人によって高度な能力が普通に使われているのである。
知らぬは科学だけ、あるいは、学校や役所だけである。
ただ、脳を高度に使っている人だって、使い方が経験的だったりで、同じ経験を持たないような人相手には説明し難いのである。
斎藤一人さんのように、ビジネスで驚異的に成功する人は、脳の使い方をよく知っていて、しかも、彼の場合は、普通の言葉で、ある程度説明が出来る。
しかし、その脳の使い方は、試験で百点を取るような使い方とは全然違い、世間常識とも合わない部分も多いので、斎藤さんは、やむなく「俺の話は変な話」と言ったり、自分のことを「変な人」と言うのだろう。
また、世間の言葉で言うこと自体難しい(と言うより無理がある)ので、どうしても、話どうしで矛盾が生じてしまうことが多い。
学ぶ方の能力も必要だが、その能力も、試験で百点を取る能力とは全然違い、先入観がないとか、素直とかいったことであるのだと思う。








  
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