選挙になると、政党やマスメディアが、
「社会を変えよう」
「そのために政治を変えよう」
「そのために国民に出来ることは投票です」
と言い、多くの国民がそれを真似る。
また、選挙とは関係なく、社会制度や政治を批判する者は多く、それで社会や政治が変わるとでも言うかのようである。

ところで、この世は、遠くのものより近くのものが頼りになる。
国連より国、国より地方自治体、地方自治体より勤務する会社、勤務する会社の中でも直属の上司、そして、直属の上司より自分(の能力)である。
会社等の組織に所属しないなら、最も頼るべきは自分(の能力で)あることが、よりはっきりする。
ここまでは頭で考えても分かる。
だが、国連の上に地球があり、地球の上に太陽系があるように、自分に関しても、身体より心が近く、心より魂が近い。
よって、最も頼るべきは魂であるが、その正体がはっきりしない。
だが、別に宗教家でなくても、昔から、真に力を必要とする人達は皆、神(あるいは仏)は自分の中にいるとか、心そのものが神であると、ごく普通に語ってきた。
つまり、一番のコア(核)は神であり、自分>身体>心>魂>神と、一番近くにあって、一番頼りになるのは神ということになる。
ただ、魂と神の区別については不明で、とりあえず、両者は同じもの(あるいは、とても近いもの)と考えても良いと思う。

遠さで言えば、心から上の存在は皆、大きさが違うように見えても、どれも大海に浮かぶ船のようなもので、運まかせとしか言えない。それは、偶然まかせということである。
つまり、ある意味、運が一番大切ということである。
運が良ければ、社会がどうであろうが、政治がどうであろうが、天変地異(自然界に起こる異変)がどうであろうが安全である。

そして、実験と検証の結果、運を良くするには神に意識を向ければ良いと分かっているが、神の正体がよく分らない。
しかし、神について分かることがある。
それは、自分より上位の存在であるということだ。
だから実際、自分の心とか、まして、身体を最上位に置く者は運が悪い。
自分の心や身体より上の存在があると思っている者は、それほど運が悪くないし、高い存在を意識する者ほど運は良い。
もちろん、心や身体、あるいは、社会を無視してはならないが、それらは、最低限、意識していれば問題ない。
高い存在を意識するには、その象徴である神仏の名、あるいは、「神」とか「仏」という言葉を唱えることが、最も直接的で簡単だ。
実際、念仏を唱えたり、神の名を唱えたり、神の名や神という言葉を含む祈り言葉を唱える者に、それほど運が悪い者はいない。
たとえば「神様の奇跡が起こる」とか「神に出来ないことはない」という言葉を唱える者は、それが多いほど運が良い。
「南無妙法蓮華経」だって、仏様の集合である『法華経』という経典を意識するのだから同じことである。
「最も重要な戒律は何か?」と問われたイエスは「自分の神を愛することだ」と答えたが、それを実践する良い方法が上に述べたことであると思う。








  
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