私は自助努力に著しく欠け(笑)、神頼みが大好きなのであるが、神頼みについて、今朝の記事よりもシンプルなことを述べようと思う。

中国出身のアメリカの女性作家で事業家のチン・ニンチュウの世界的ベストセラー『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』の195ページ「羊飼いをあなたの主人にせよ」に、神頼みの究極が書かかれているが、これは、チン・ニンチュウの悟りのようなもので、意味とか、実際のやり方がよく分らなかった。
ニンチュウは、こんな説明が上手くないので、名著ながら、ロングセラーにならなかったような気もする。
だいたい、こんな話である。

チン・ニンチュウは大変な努力家であった。
作家として最高の評価を受け、いくつかの会社を起業して成功し、女優だったこともあった。
そんなある日、彼女が瞑想をしていると、こんなイメージが浮かんだ。
羊飼いが自分に近付いてきて、自分は羊になった。
羊は羊飼いにしっかりと面倒をみてもらってさえいれば、何の努力もする必要はない(と彼女は理解したのだろう)。
夢の中では(あれ、瞑想だったはず。寝ちゃったのかなw)、その羊飼いは彼女の保護者になってくれていた。
羊飼いは彼女に、「私が"究極の戦士"として、あなたの代わりに戦ってあげる」と言ったようだ。
瞑想を終えた彼女は(また瞑想に戻ったw)、喜びと安堵で涙が止まらなかったという。

日本には、羊の放牧とか、羊飼いといったものがほとんどないが、羊飼いのイメージは、アニメや映画等で見て分かっていると思う。
キリスト教では、イエスが羊飼いで、我々人間は羊であると喩えられることがよくある。
ニンチュウもクリスチャンであるから、やはり、羊飼いはイエス・キリストで、神ということなのだろう。

上の話が全てで、我々も羊になって、羊飼いである神様に面倒を見てもらい、代わりに戦ってもらえば良いのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、「まることの教え」といって、神様にまるごとまかせれば良いのだと教えたのである。

ところが、上で、ニンチュウは、「何の努力もする必要はない」と述べているが、これをニンチュウは悪意なく書いているから問題なのである。
つまり、彼女のような超努力家で超優秀な人から見れば「こんなの努力じゃない」と思うようなことが、我々凡人には、かなり努力しなくてはならないことかもしれない。
たとえば、イチローが毎朝百回素振りをするのは極めて楽なことだが、アマチュア野球の選手なら、かなりの努力になる。
黒住宗忠だって、「仕事に励むのは当たり前だ」と言っているのであるが、それは、私にとっては、努力以外の何物でも・・・である(笑)。

とはいえ、やはり、やりたくないことは、やらなくて良い。だが、これも誤解されることが多いので言い直す。
「どうしてもやりたくないなら、やらなくて良い」
偉くなったり、金持ちになりたい場合はいざ知らずだが、平安に楽しく暮らす程度で良ければ、最小限の努力で良い。
上の羊と羊飼いの例で言えば、羊の努力とは、せいぜいが、羊飼いの側に居ることだ。
しかも、聖書によれば、羊がはぐれてどこかに行ってしまっても、羊飼いは必ず、探しに来てくれるのである。
我々も、神様から離れてしまったら、神様の方で探しに来てくれるかもしれない。
しかし、せっかく神様が見つけてくれたのに、その時に逃げ出したら、少々まずいわけである。そんな時は、黙って神様に従う程度の努力は必要なのである。

努力について、もう少し考える。
私の場合は、会社で全く仕事をしなかった。
それでも、出勤し、自分の机に座っているくらいのことはしたし、それほど大変でないことならやっていた。
ところが、大俳優だった丹波哲郎さんの場合は、サラリーマン時代、出勤はしても、遊びに行ってしまって、席にはいなかった。
それでも、丹波さんは、宴会の幹事は得意で好きなので、それで役に立っていたらしい。また、丹波さんという人は、人に嫌がらせや、まして、いじめをするような人ではなかった。
つまり、嫌なことでなければ、羊も、最小限の努力はすべきだが、とにかく、最小限で良いのである。
しかし、そんな最小限の努力・・・やってクタクタになるわけでもないことをやらない人間は多いのである。
あるいは、やらなくてもいい嫌がらせや陰口みたいなことをする人も少なくないし、いじめをする者もいる。詳しくは解説しないが、そんなことをするのは、神様の恵みを拒否しているようなものだから、神様だって何も出来ないのではと思う。

結局のところ、神様にくっつくくらいの努力をすれば良いのだと思う。
神様(あるいは仏様)は、限りなく慈悲深いが、自分も最低限の立派さがないと、神様に近付く気になれないと思う。
たとえば、極端な話だが、毎日電車で痴漢行為をしながら、「神様、お近くに居させて下さい」とは言えないものである。
だが、それほど「ご立派」である必要もない。
つまり、最低限のモラルを持つべきで、それであれば、ニンチュウのように、神様に面倒を見てもらう気満々でさえあれば(笑)、それで良い。
それには、最近動画で見た話であったが、斎藤一人さんが教えるように、「天之御中主(アメノミナカヌシ)様、お助け下さいまして、ありがとうございます」と唱えるのも良い方法と思う。
もちろん、自分に合うなら、「南無阿弥陀仏」や「アマテラスオホミカミ」や「アジマリカン」や「トホカミエミタメ」と唱えるのも良いと思うし、「神様の奇跡が起こる」と唱えても良いのである。








  
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