最近、ほんの少しだが、「十言の神呪(とことのかじり)」を勧めることを続けて書いたが、理由があった。
「神呪」は古い字を使うと「神咒」で、今も、こちらを使う人もいるが、ここでは「神呪」を使う。
神呪は、普通は「しんじゅ」と読み、「まじない」といった意味である。真言と言っても良いと思う。

十言の神呪とは、「アマテラスオホミカミ」と唱えることである。
これにより、天照大神(アマテラスオホミカミ)の恵みを得られると言われている。
天照大神は古事記に登場する、天界である高天原(たかまがはら。たかあまはら)を統べる女神の名であるが、江戸末期の高名な神道家、黒住宗忠は、天照大神を、宇宙の根本神としての太陽神として尊崇していた。
私は、天照大神を、古事記の女神、根本神(太陽神)の両方の意味で捉えている。

十言の神呪は、先程も述べた通り、「アマテラスオホミカミ」と唱えることであるが、それでどんな恵みがあるのかというと、万能であり、制限はないと考える。
そこで、問題は、唱え方になろうと思う。
これに関しては、様々な人が様々に言うのだが、最近、動画サイトで見た(聞いた)ものが気になった。
その唱え方が広い認識になっているような気がする。
それは、男性が唱えていたこともあるが、こわい顔をして(真面目な顔と言うべきかもしれないが)、野太い大きな声で「あーまーてーらーすーおーほーみーかーみー」と、威風堂々、威圧的とも感じる雰囲気で、間延びさせて朗々と唱え、このように唱えるようにと、自信たっぷりに語っておられた。
だが、現実的に、そんな唱え方が可能だろうか?
誰もが、必ずしも防音効果が高い部屋を持っているわけではない。
そのように唱えたら、家の中はもちろん、家の外まで、その声が聞こえる場合も少なくはなく、聞く人によっては不快と感じることもあるに違いない。
そんなことに全く無頓着で、大きな声を出す人もいるが、それは決して正しいことではないと思う。
そして、そのような唱え方を、例えば、純情な少女が出来るだろうか?あるいは、似合うだろうか?
全く似合わない・・・というのは、私の個人的感覚だけとは思えない。
では、少女が唱えるべきものではないのだろうか?
まさか!むしろ、一番唱えていただきたい。

私が考える、一番、理想的な唱え方はこうだ。
心の中で、微(かす)かな声で、慎ましやかに、丁寧に「アマテラスオホミカミ」とゆっくり唱えるが、別に「あーまーてーらーすー・・・」などと間延びして唱えるのではない。
声に出して唱えるのも、もちろん良い。
その場合は、近くにいる人にも聞こえないくらい、微かな声で(実際には、ほとんど、あるいは全く声になっていない)、「アマテラスオホミカミ」と、やはりゆっくり、丁寧に唱えるのである。
これなら、少女が唱えてもピッタリであると思うし、誰が唱えても、最も敬虔(深く敬って態度をつつしむさま)であると思う。
この2つなら、いつでもどこでも唱えられる。
唱えるたびに穢れが祓われ、心の中の天照大神が輝くのを感じるのではないかと思う。
これらの唱え方であれば、欲望すら浄化され、希望や美しい願いに変わる。
そして、黒住宗忠が言うように、全て天照大神におまかせすれば、良い形で願いが叶う。
太陽神に不可能はないのだから。








  
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