一芸は万芸に通じると言うが、おそらくその通りで、何かを究めれば、他のことも、たとえ自分では出来なくても有効に利用出来る。
たとえば、プログラミングの極意を考える。
プログラミングとは、コンピューターで目的を達成するアルゴリズム(まあ、手順といったものだ)を考えることなのだが、達人が作るプログラムには万能性がある。
それは、格闘技の必殺技のようなものだ。
下手な格闘家の必殺技は、相手の身体が大きかったら効かないとか、空手の心得がある相手には通用しない等といった欠点が多い。
しかし、達人の必殺技は、いかなる相手でも、それを出せば敵を倒せる。
プログラムでも、下手なプログラマーが作ったプログラムは、使用するデータの数値が大き過ぎたら処理出来ないとか、予期しない例外的なデータがあったらエラーを起こすといったことが起こるが、優秀なプログラマーが作ったプログラムは、いかなる状況にも対処出来る。
ところが、どんな状況にも対応出来るプログラムを、無能なプログラマーが作ろうとすると、出来たプログラムは複雑で、トラブル続出となり、使い物にならない。
一方、達人プログラマーが作った万能プログラムは、実にシンプルだ。
そして、格闘技の達人の必殺技も、シンプルなのである。
つまり、極意とはシンプルなものだ。
そのような、シンプルで万能なプログラムのアルゴリズムや、格闘技の必殺技は、どうすれば思いつくのかというと、無になった時に直観で閃くのである。
軍事作戦も同じである。
確かに、どんな良い作戦も、実行する際には、あらゆる状況を想定するが、作戦がシンプルで優れていれば、様々な・・・例外的な状況でも対応し易い。
しかし、下手な作戦で、様々な状況に対応しようと思ったら、とんでもない手間と兵力と物資が必要になり、なおかつ、勝率は低い。
よって、軍事作戦も、無になれる優れた参謀が、直観で出した作戦が良いのである。
一方、単に頭の良い参謀が理詰めで考えた作戦は、とんでもない欠陥を抱えているものである。

私がいつもおお勧めする、腕振り運動やナンバ四股は、身体トレーニングや身体調整としても極めて優れているが、それらを淡々と長時間やっていると、直観の領域である純粋意識に近付き、そして、入り込む。
普段から、腕振り運動やナンバ四股を超長時間やって、純粋意識に慣れておくと、心は純粋意識に入り込むコツを掴み、必要な時に純粋意識に入ることが出来、直観を得られる。
直観に従えば、ほとんど何もしなくても引き寄せも自在である。
だから、短絡的な効果ばかり求めず、淡々と腕振り運動やナンバ四股を、出来るだけ数多くやれば、割と早く引き寄せが自在になると思う。








  
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