何も言わず、何もしなくても、そして、特に目立ったところのない外見と身なりであっても、周囲に強い雰囲気を感じさせる人がいる。
それを、「強い気を発している」と言うことがあり、気という不思議なエネルギーがあるように言われることもあるが、それはおそらく間違いである。
そうではなく、電子などの素粒子は意思を持ち、素粒子同士がコミュニケーションを行い、また、人間の意識(あるいは脳)も素粒子とコミュニケートすることは、科学的に(量子力学で)分かってきているので、こちらの理屈によるものだと思われる。

アメリカ最大の賢者で哲学者であるラルフ・ウォルドー・エマーソンは、「人間は、自分がどんな人間かが書かれた看板を、頭の上に掲げて宣伝しているようなものだ」と言ったが、それは事実であり、上のような仕組みで成されているのだろう。
つまり、自分がどんな人間かは、隠したってバレているのである。
ただ、現代の人間は、素粒子とのコミュニケーション能力が衰えているので、感じる力が鈍くなっているのだと思う。
まさに、「考えるな、感じろ」という意識を持たねばならないのだろう。

素粒子とのコミュニケーション能力が高ければ、強い影響力を持ち、現実を創造したり、引き寄せを行う能力が高い。
司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』に、こんな話がある。
宮本武蔵が、京の吉岡道場への果たし状を、吉岡道場の門番の老人に渡し、誰とも会わずに去った。
吉岡道場の当主、吉岡直綱は、その門番の老人に、「宮本武蔵はどんな男であったか?」と尋ねると、老人は、武蔵の外見と共に、
「武蔵が近付いてきたとき、声もかけられるのに身のうちがわなわなと震えた」
と言った。
それを聞き、直綱は武蔵のただならぬ実力を見抜いた。
武蔵は、素粒子に強い影響を与える大きな意思の力、すなわち、精神エネルギーを持っていたのである。
尚、量子力学の知識があるはずがない直綱は、これを「武蔵は強い気を持っている」と表現した。
便宜上は、「気」という考え方も良いと思う。

自分の意思は周囲どころか、宇宙全体に伝わっており、反作用も受けることから、悪意ある想念は持たないようにしたい。
イエスが言った「邪な目で女を見れば姦淫したも同じ」は、道徳的な意味だけでなく、事実であり、女性に悪い反応を起こさせる。
邪悪でも精神エネルギーが強ければ、一時的に世界を思うままに操れるが、例外なく、いずれ反動を受け、悲惨な最後を遂げることになる。
精神エネルギーを強くすると共に、良い精神波動を発する方法は無になることである。
瞑想したり、マントラを唱えたり、聖典を読むのも、そのための方法であるが、じっと座ってやることは、なかなか長続きしない。
そこで、腕振り運動のような、自然な運動を淡々と繰り返すことが勧められる。
数多く淡々と行うことで、無に近付くのである。
腕振り運動で難病が治ったり、幸運になるのは、上に述べたような原理によるのだと思う。








  
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