コンピューター科学者で、有名なLispプログラマーであるポール・グレアムの『ハッカーと画家』によればアメリカも同様のようであるが、日本では、庶民は、ある時期までは学校に、学校を終えてからは、会社を始めとする職場に長時間拘束される。
その結果、どうなるかというと、人間本来の優れた精神と身体を持つ機会を逸する。
我々は、身体や心を磨くには、厳しい、辛い鍛錬をすることが必要だと思い込まされている。
上位の人間になるためには、猛烈な勉強やトレーニングを、1日4時間、5時間もやる必要があるといった具合だ。
しかし、そんな訓練では、若い時に一時的に、そして、極めて限定された能力を持てるに過ぎない。
そして、そこそこ優秀な人間になるためには、やはり、辛い訓練を毎日2~3時間やるといった具合だ。
だが、人間が本来持つ、本物の力は、そんなやり方では顕在化出来ない。
とはいえ、正しくやれば、誰でも、苦しむことなく得られる。
すなわち、誰でも出来る軽い訓練を、長時間やれば良い。
しかも、一般のスポーツや勉強と違い、やることの種類は少なく、たった1つのことをやれば良い場合もある。
実際、キリストのような高度な神秘力を得た者は、たった1つのことを、毎日、6~10時間以上やった者が多い。

釈迦は王子様で、29歳まで、かなり自由な時間を持ち、仙人の行に励んでいたのだと思われる。それは、決して苦しい行ではなく、むしろ、楽しいものだったはずだ。
その後、釈迦は城を出て、35歳まで修行三昧したが、能力そのものは、城を出る前に得ていたのだと思う。
だから、釈迦を霊視したルドルフ・シュタイナーは、釈迦が悟りを開いたのは29歳の時だったと言うのである。
釈迦の29歳から35歳までは、修行と言うよりは、探求の期間、人々を導く準備をするための期間だったのだと思う。
イエスの場合も、王子様でこそなかったが、30歳頃まで実家暮らしで、理解のある両親の元で自由に知恵の探求をしていたと思われるフシがある。
江戸末期の偉大な超人神道家、黒住宗忠も、完全にそう(実家暮らしの苦労知らず)であり、彼はイエス並の奇跡の力を備えていた。

引き寄せの能力が強い者というのは、子供の時から友達が少なく、また、時間を取られる趣味もなかったので、多くは偶然に、精神、あるいは、肉体を時間をかけて磨いていた者が圧倒的だ。
概ね、そんなふうな状況で育った者の中でも、特に、読書好きで、しかも、その読書内容が精神的なものであった場合は、魔法的な力を獲得している場合がよくある。
アイザック・ニュートンがまさにそうで、彼は、数学や物理学、あるいは、天文学の研究は、ついでにやっていただけで、本当に熱心に行っていたのは神秘学や聖書の研究だった。

引き寄せの能力も、訓練で得られるところがあり、それには長時間かかる。しかし、訓練そのものは、誰でも出来る、楽なものだ。
仙人や導師や超人ヨーギのような、超人的な身体や精神力を得るのも同じであると思われる。
それこそ、腕振り運動をしたり、佐川幸義流の、足踏みに近い四股を、毎日、長時間踏んだりである。
だが、我々は、学校や会社等に長時間拘束されてしまっている。
しかし、たとえそうであっても、なるべく学校や会社等に関わる時間を減らし、また、つまらない友達付き合いや、下らない趣味や、飲酒や美食に時間を取られることなく、楽しい充実した修行に時間を注ぐ込むべきであると思う。
また、学校や会社の中でも、なるべく自由な時間を作り、修行するのだ。
私の場合は、若い時から、少なくとも会社では、大半の時間は自由にしていたが、不可思議な力により、いつも良い想いをしていたのである。








  
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