坐禅や瞑想を、何も考えず、無念無想でやることは、難しいと言うより、無理だと思う。
坐禅では、本式には、公案というものを考えながらやるらしいが、それは、専門的にやらないと難しい。
そこで、数息観といって、吐く息の数を十まで数えることを繰り返したり、マントラ(真言)を心の中で繰り返したりする。
しかし、そんなふうに、頭の中だけで、数えたり、唱えたりするのは、時間が長くなるほど苦痛でストレスになる。ストレスを取るはずの坐禅や瞑想でストレスを溜めていては仕方がないが、坐禅や瞑想をする者には、そんな者が多い・・・というか、ほとんどそうではないかと思う。
そこで、立って行う立禅(気功や太極拳ではタントウコウと言う)というものがあるが、私は、しっかりとした気功家と思える人の動画で、やり方の説明を1分見ていたら、あまりの複雑怪奇さにやる気を失った。
それで私は、腕振り運動を圧倒的に勧めるのだが、ほとんどの人は、腕振り運動を普通の運動のように考え、力が入り過ぎて、本来の腕振り運動の良さを殺してしまっている。

そこで、身体鍛錬にもなるし、なおかつ、心も統一させる効果があるものとして、四股に注目した。
四股と言っても、相撲の四股とはかなり・・・いや、全然違い、四股という言い方は止めた方が良いとすら思う。
元々、大東流合気柔術の師範であった佐川幸義氏が考案したものだが、佐川氏はやり方を正式に広めず、弟子達の間でもやり方が異なり、高弟の中には、自分のやり方も自己流と心得ているのか、一切語らない人もいると思う。
私の四股も、佐川流の中に入るのかもしれないが、全く自己流である。
しかし、やっていて面白いので、ちょっとやり方を書いてみる。

(1)足を平行にして立つ。つまり、外股(ガニ股)でも内股でもない立ち方をする。足の外側の距離(小指と小指の間の距離)が肩幅になるように開くが、もう少し開いても良い。
(2)上体を真っすぐに立てたまま、少し腰を沈める。沈め方は、かかとを床につけたまま、膝を前に出しながら、一番ゆったりと感じるところまで腰を落とす。腰が落ちる距離は、数センチから十数センチと思う。腰を落とす際、くれぐれも上体が前屈や後屈をしないように。
(3)左足をわずかに上げる。わずかとは、1ミリから2~3センチ程度で、本当にわずかである。この際、上体があまり右に傾かないように心がけるが、無理に傾けないよう力んでもいけない。また、意図的に体重を右足に移動させてはならないが、自然に移動する分は構わない。このように、左足を上げた際に、いかに自然に、わずかに右に傾き、右足に体重をわずかに移動させるかといった微妙な感覚が大切で、数をこなすうちに、しっくりしてくる。このしっくりさが、この四股の要諦(肝心なところ)である。
(4)左足をつま先からそっと床に降ろす。かかとまで降ろし終わるまで、あくまでそっと行う。
(5)両足で真っすぐ立った状態で静止せず、すぐ、今度は右足を上げ、同じように行う。

慣れないと、脚がかなり疲れるかもしれない。
その場合、両脚で真っすぐ立った状態で少し静止するが、止まっているように見えても、1秒に1ミクロンでも動いているというくらい、極めてゆっくり動いていると思えば問題ない。
この四股で、肉体、精神だけでなく、霊も磨くことが出来る。
おそらく、精神エネルギー(これが気である)を使えるようになり、病気も治るし、引き寄せも出来るようになると思う。

四股や、その他の鍛錬の仕方など全く書いていないが、司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』や、『天狗芸術論・猫の妙術』が、非常に参考になった。
あるいは、宮本武蔵の『五輪書』や『荘子』に秘中の秘があると感じた。








  
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