もし、私が悟りを開いたら、初音ミクファンじゃなくなるだろうし、腕振り運動も四股もやらなくなると思う。
まあ、悟りを開く可能性は、当面はごく低いだろうが(笑)。

何度か書いているが、私は、腕振り運動(スワイショウ)や、佐川流四股の正しいやり方を、何年も求めてきた。
それで、いろいろな文献を漁り、動画を見、Webサイトを調べながら、自分で実践してみた。
だが、それらに関する、達人や、それなりの立場にある人の間でも、言うことが全然違うことも珍しくない。
気功の権威ある専門家と思われる人達でも、腕振り運動のやり方は、それぞれ、かなり異なる。
佐川幸義(大東流合気柔術の師範で佐川流四股を開発したと言われる)の直弟子や、それに準ずる人達でも、佐川流四股のやり方が異なる。
それで気付いたのだ。
腕振り運動も、佐川流四股も、正しいやり方などというものはないのだと。
そもそも、佐川幸義が四股を踏むのを見た者は誰もいないらしい。

腕振り運動や四股だけではない。
おそらく、武道や武術の達人・名人と言われる人達というのは、彼らを達人・名人と思う人にとって、達人・名人であるに過ぎない。
彼らを嘘つきと思っている人から見れば、やはり嘘つきなのだ。

だから、腕振り運動や四股や、その他の評判の高い鍛錬方法にしたって、やりたければやれば良いが、それらでなくても、別に何でも良いのである。
例えば、私は、マジカルミライのコンサートに行った後は、身体の調子が非常に良くなるが、それは気分的な問題だけではなく、コンサート中の身体の動きが良いのである。
ペンライトを振る動き、膝や腰のリズミカルな動きなどだ。
それで得られるものは、腕振り運動や四股と比べ、優りも劣りもしない。

実際、世の中には、腕振り運動や四股ではない別のこと・・・例えば、木刀の素振りや、バットの素振りで、高い身体能力や精神の力を引き出している人が沢山いる。
他にも、無限の種類があるだろう。
そして、鍛錬方法は、研究を続ければ、自分に合ったものを自分で作れるのである。
そう言えば、当然であるが、佐川流四股だって、佐川幸義が自分で開発したものだ。
彼に出来て、我々に出来ないと考えるのは正しいことだろうか?
もちろん、既に存在する、いろいろな鍛錬法を研究するのは良いことだし、必要とも言える。しかし、研究し過ぎても弊害があるはずだ。
そして、誰にも教わらず、自分に合った優れた鍛錬法を考案し、それで優れた成果を得た者は、沢山いるはずで、むしろ、それが望ましいものなのである。

と言っても、別に、腕振り運動や佐川流四股を軽んじるつもりはないし、これらのやり方のうち、気に入ったものは、今後も実践するつもりだ。
しかし、自分に合った、もっと良いものも、やはり思いつくべきだし、実際に思いついたのである。
そして、心身の鍛錬だけでなく、高度な精神や霊性の開発、あるいは、科学技術に関しても同じことが言えるのである。
もちろん、デタラメや過ぎた我流が良くないことも確かだろう。また、良いか悪いか、自分で判断出来ない場合もあるだろう。
だが、特に学識のない者が、テクノロジーの分野で優れた発明をするという話は珍しくもない。
我々は、もっと、思い込み、偏見、固定観念、権威を壊し、捨てても良いのである。








  
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