絶望とは、希望がないことだ。
希望とは、絶望がないことだ。
希望と絶望は、案外に面白い言葉である。
つまり、プラスとマイナス、男と女といった客観的事実ではなく、人間の心の中にしかないものだからだ。
まず、希望や絶望を持つには、非常に強い願い・・・譲れない願いというものを必要とする。
絶望とは、譲れない願いに届く可能性が全くないと認識することで、希望とは、譲れない願いに届く可能性があると認識することだ。
つまり、希望も絶望も、あくまで、認識の問題なのである。
そこで、譲れない願いについて考える。

普通の人が、自分は譲れない願いを持っていると思っているが、実現の可能性は極めて低いと感じている場合がある。
例えば、こんなものである。
「Jリーグのサッカー選手になりたいが、25歳になるのに、サッカー経験がほとんどない」
「アイドルになりたいのに、二十歳を過ぎているし、身長が160センチで体重が60キロある。顔も可愛いと言われたことがなく、ナンパされたこともない」
「30歳も過ぎた、ただのオッサンだが、アニメのヒロインのような美少女と付き合いたい」
確かに、願いが叶う可能性について言えば、間違いなく絶望である。
しかし、その前に、そんな願いを見たら、「え?」と思うだろう。
つまり、そんな願いを持っている者の頭がおかしいだけである。
こんな願いは、譲れない願いではなく、妄想である。
あまりにアホらしい願いだが、こんな妄想を持った者が日本人には多い。
仏教の根本的な教えは、「莫妄想(まくもうぞう)」、すなわち、「妄想するなかれ」だ。「莫」とは「存在の否定、禁止」を表す語だ。

ジョセフ・マーフィーの『人生に奇跡をおこす』という本に、女優になることを夢見ている若い女性に、マーフィーが「子供の夢から卒業しなさい」と嗜(たしな)める話がある。
それで、その女性は、何か現実的な勉強をして就職し、やがて、その就職した会社の若い社長と結婚して幸せになる。
しかし、多くの場合、「子供の夢から卒業しろ」なんて言われても、反発したりで、なかなか妄想を捨てないものだ。
「いや、叶わないとは限らない。無理を叶えるのがマーフィーの成功法則でしょう」ってね(笑)。
妄想かどうかは、1日何時間、そのことについて考えているかで決まる。
妄想の場合、1日トータルで1時間も考えていないことがほとんどだ。
(1日3時間以上妄想していれば、精神病院に入れられるようなことを起こしている可能性が高い)
あるいは、食べることより好きかどうかだ。
昔は、願掛けで断食する人がよくいたが、7日の断食がそれほど辛くないなら、本当の譲れない願いである。
妄想の場合、2日も続かないだろう。

実は、今の日本人は、「妄想する国民」なのである。
誰かが、そうなるよう仕組み、それがうまくいってしまったのかもしれない。
あなたが妄想の願いを持ち、それに執着しているなら、あなたもその被害者だ。
「鬼滅の刃」ではなく、「日本滅の謀略」である。
その謀略とは、日本人のモラルを破壊することだ。
日本人はすでに、モラルが何かを知りもしない。
モラルとは、勝手気ままに振る舞いたい気持ちに、自分で制限(自己制約)を加えることである。
人間は、持っているモラルの2倍、賢く、強くなる。
つまり、モラルが3倍になれば、6倍、強く賢くなる。
しかし、日本人が持つモラルは低いので、賢くはなく、力がない。
賢くないので妄想し、力がないので価値ある目標を見ようとしない。
酒を5杯飲みたい気持ちを抑えて1杯にし、ゆっくり座っていたい気持ちを抑えて腕振り運動や四股踏み運動をするなどで、少しずつ、自己制約の力、すなわち、モラルを取り戻すことだ。
そうすれば、小さな願いを叶えることなど容易いのである。








  
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