子供の想像力は良いものだが、それを現実問題に適用しようとしたら、途端にそれは妄想でしかなくなり、何の役にも立たない、単なる馬鹿な考えでしかなくなる。
一方、大人は、現実的に考えることが出来る人でも、世界を動かしたり、人類を前に進めるようなことを考えられる人は滅多にいない。普通の大人は、固定観念が強くなってしまっているからだ。
例えば、かなりの額の臨時収入を得ようとしたら、子供は、そのための面白いアイデアは沢山出せるかもしれないが、そのアイデアは面白いだけで現実的ではなく、目的を達することが出来ない。
大人の場合は、月々の給料を得ることは出来ても、それなりの臨時収入を得るアイデアを出そうとしたら、「うーん」と考え込むだけで、何も出て来ない。

ところが、大人はもちろん、子供でも、それなりどころか、大変な臨時収入、さらには、不意に、高額な連続収入を得始める人がいる。
そんな子供や大人の特徴は、理屈でものを考えなかったことだ。
子供の場合は、お金より他に面白いことがあるし、お金に対し、切羽詰まった必要性を感じないこともあり、突如、お金を稼ぎ出す者は少ないが、大人が、予想外の臨時収入を、十万円とか百万円といった単位でなら、不意に得てしまう人はたまにいるし、もっと大きな額をタナボタ式に得てしまう人も稀にいる。
そんな時の、その人達の本音は、「なぜか分からないが」「どういうわけか」「何か知らんけど」なのである。言い換えれば、予想外なのであり、偶然、たまたまなのだ。
人間、良いことは、偶然、たまたま起こるのである。
正直で冷静に考える知性を持った成功者は、自分が成功した原因は「たまたま」だと言うのである。

私は、時々、このブログに書くが、あり得ないことを何度も起こしたことがある。
例えば、子供の時、天体望遠鏡で土星を見ようとしたら、何も考えずに、夜空の星を1つ選べば、その星は必ず土星だった。
それも、たまたまなのである。
また、やはり子供の時、以前見た、テレビドラマのある回を録画したいと思ったら、ただ、テレビの録画装置のリモコンスイッチを持ってテレビをを見ていたら、それが放送された。
これも、たまたまなのである。
確率とすれば、限りなくゼロに近いが、それでも、完全にゼロではなく、百億人がトライすれば、何人かは成功するかもしれない。
そのたまたまをどうやって起こすのか?
多くの、引き寄せの指導者たちは、そんなたまたまが起こることを信じろと言う。
しかし、そんなことは、子供にだって難しいのだ。
では、どうすれば良いか。例えば、私はどうやったのか。
それは、強く願ったことも確かだが、それよりも、疑わなかったのである。
信じはしないが疑わなかった。

奇跡を起こすコツは、「信じないが疑いもしない」で、現実世界ではむしろ「疑わないが信じていもいない」とした方が良い。
例えば、女性に、男性が「君を愛している」と言ったら、女性は、その男性を、疑ってはいけないが、信じてもいけない。そうすれば、嘘は見破れる。
私は、新型コロナワクチンが良いものであることを疑ってはいないが、信じてもいない。だから、1回も打っていない。
宝くじが当たることを信じるやつは馬鹿に決まっている。しかし、疑わなければ当たる。
それには、普段から、「疑っちゃいません。けど、信じてもいません」という心構えを持つことだ。
ちなみに、このセリフは、笹沢佐保さんの時代劇『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎がよく言ったものだ。
いつも紋次郎が、奇跡的勝利を得るのは、フィクションながら、とても自然なのである。








  
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