竹宮恵子さんの古い漫画で、あまりよく覚えていないが、こんなお話があった。
一人の少年(青年とも言える年齢)か、この世界で生きることがとても辛く感じていた。
世界は灰色で、人々は誰も生きているように見えなかった。
そんな時、一人の少女を見かけたが、少年は、彼女は生きていると感じ、彼女を追いかける。それは、単に、彼女が好みのタイプだったからとか、そういうのではなく、本当に、彼女に生命の輝きというものを感じたようだった。
まあ、結末は、かなり悲惨だったと思うが(笑)。
ただ、「この世界は生き難い」「誰も生きているように思えない」というのは、十代の若い人にはよくあることだが、これが20代、30代となっても、そのままだと、生涯、ひきこもりのニートになりかねない。
とはいえ、誰もが、いくらかは、そんな感情を持っているのだと思う。
この世界は、どこか偽物っぽく、空虚で、嫌な世界で、夢も希望もなく、こんな世界で生きるのは辛い。ここに居る人々も、血の通った、動いている心臓を持った、人間らしい心を持った存在と感じられない・・・誰でも、多かれ少なかれ、そんな想いを持っているものだろう。

そこで、こんな問題に思い至る。
つまり、自分は本当に生きているのかと。
上の竹宮恵子さんの漫画で言えば、その、おそらくはピュアな心を持った少年に、あなたは生きていると思ってもらえるだろうか?
あの少年は、魔女の少女だけを生きていると感じたのだ。

長谷敏司さんのSF小説・アニメ『BEATLESS』で、15歳の少女、村主オーリガは、「人類はエロとグルメだけで生き延びてきた」みたいなことを言ったが、それはあくまで、友達の遠藤ユカ(14歳)を元気付けるために言っただけで、もちろん、間違いである。
つまり、上の竹宮恵子さんの漫画で言えば、「エロとグルメだけで生きているような人間は本当には生きていない」のである。
そして、現代の人間のほとんどは、エロとグルメだけで生きているので、本当には生きていないのである。
エロとグルメだけで生きている人間は、そもそも人間ではない。

では、どうすれば生きることが出来るのか?
これは重要である。
なぜなら、生きている者だけが神の力を持てるのだからだ。
俗なことを言うなら、生きている者だけが、引き寄せが出来る、つまり、世界を創造出来る。
というわけで、生きよう(笑)。
どうすれば生きられるかは、教えてもらうようなことではない。
ただ、逆向きに言うなら、さっきも述べたように、「エロとグルメだけで生きない」ということだ。
言うまでもないが、エロとグルメを否定するのではない・・・こんなことを言わないと、すぐ、「エロもグルメもあってはならないと言うのですね」と言う馬鹿がいる。嗚呼、面倒臭い(笑)。

正義を指向する者は生きている。
純粋な敬い、憧れを持つ者は生きている。
それが純粋な敬いや憧れであるかどうかは、正義を指向しているかどうかで決まるように思う。
金メダルを狙う者は生きていない。そんな者は、エロとグルメに生きていて、その欲望を利用されているだけだ。
結局のところ、正しい心、美しいハートを求めている者だけが生きているのである。
つまり、『銀河鉄道の夜』の、ジョバンニやカンパネルラのような者が、本当に生きていると言えるのだと思う。

※上で引用した竹宮恵子さんの漫画は『真夏の夜の夢(ミッド・ナイト・ドリーム)』であることが判明。『シルベスターの星から』に収録。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ