一晩くらいなら、必死にならなくても、ずっとやっていられるものがあれば、引き寄せが出来る。
とはいえ、そんなもの、本当は誰にだってある。
ただ、自分にとって、それが何か知らなかったり、忘れていたり、やりたいと思っても出来なかったりだろうと思う。
しかし、その「楽々とずっとやっていられる」感覚を、自在に起こすことが出来なければ、引き寄せの力が働かない。

「一晩中、踊っていられる」とか「一晩中、語り明かした」なんて言うことがある。
そんなことを、当たり前にやれる者は、どんなものでも、状況でも引き寄せられる。
「一晩中、漫画を読んでいられる」でも、「一晩中、ゲームが出来る」でも同じだ。それで、疲れるどころか、気分が良くなるなら。
私も、子供の時、仲の良い友達と夜通し遊んで、空が明るくなってきた時は、元気いっぱいだった。もちろん、その時は、いかなる奇跡でも起こせた。

もちろん、いつもハイでいろと言うのではない。
一晩中、夢中で語り合っている時って、案外に、ぼーっとしているものなのだ。

古武術とか、ヨーガとか、仙道とか、あるいは、宗教儀式とか、古代の舞踊なんて、そんなことが出来るように作られ、人間を神的な存在に変えた・・・と言うより「戻した」。
今は、それらは、俗っぽく変わってしまったが、その中にだって、真実なものは残っている。
私がいつも取り上げる、腕振り運動とか四股なんてのもそうだ。本来、これらは、健康とか身体壮健を目的としたものではないが、結果として、そんなものも得られる。
大東流合気柔術の佐川幸義氏は、四股を「寝ずにやる」「四股をやり続けながら死ぬことが出来る」と言ったそうだが、本物の四股はこうでないといけない。
やり方を教えてもらって、その通りにやれば、強くなるといった助平根性では駄目で、佐川氏は、弟子にも、四股のやり方を滅多に教えなかったという。
結局、自分で考え工夫しなければならず、逆に言えば、自分が納得すれば、それが正しいやり方なのだろう。
これは何ごとも同じで、お金を払って(親に払ってもらって)習ったようなものは、一晩中、楽にやることは出来ない。
私の場合、今は、腕振り運動と四股をやっているが、別に何でも良い。
そして、そのやり方が正しいか、間違っているかすら、さほどの問題ではないのだ。
感じとしては、腕振り運動が光線銃で、四股がレーザー砲だ。
実は、私は、中学生の時、小石を指で弾いて武器にする練習をやって、夜を明かしたことがある。
傍目には馬鹿かもしれないし、実用にはならなかったが、あんな時は、何でも引き寄せてしまうのである。
何を引き寄せたかは、教えてあげないが、「羨ましいだろー!」と言いたいものであった(笑)。








  
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