人間を超えると言った場合、それは、あくまで、世間一般の普通の人にとっての人間というものの観念を超えるというだけで、それは案外、本来の人間に近付くことかもしれない。
そして、本来の人間とは何かというと、神に近いものであり、現実を自在に創造する力を持つ存在である。
そんなふうになるために、自己を(あるいは意識を)保ったまま心を消すのだが、それを、念仏や真言やお経や祝詞を唱えたり、あるいは、坐禅を組んだりといった、身体を静止させてやる方法では非常に難しい。
それよりも、自然で簡単な運動を果て無く繰り返す方法の方が簡単である。
そんな運動によって、「気や合気を集める」、あるいは、「気を溜める」といった言い方をする人達もいるが、実際は、そんな運動を通し、心を消すことで、無意識のエネルギー(心理学でいうエス)を活性化させるのである。しかし、気や合気という概念を利用することも良いと思う。
いや、考えてみれば、無意識のエネルギーのことを気とか合気と言うなら、それで正しいのである。

それで、私は、腕振り運動に加え、四股(大東流合気柔術式四股を基にしたもの)のやり方に熟練してきたので、これらを使い、世俗的な意味で人間を超えようと思う。
腕振り運動だけでも十分と思うが、四股には、足腰を強靭にする効果もあり、そう簡単には目標を達成出来ないこともあり、まずは、素晴らしい足腰のメリットを享受させていただこうと思う。それが、四股継続のモチベーションになり、それで、案外に早く目標を達成するかもしれない。
足腰を強靭にすると言っても、スクワットのように、脚の筋肉をつけるのではなく、むしろ、余分な筋肉を落として、脚を細く形良くしながら、未知のエネルギーで身体を動かすのである。

腕振り運動にしろ、四股にしろ、筋トレのような苦しい運動ではなく、楽な運動である。また、自然にリラックスしてやるほど楽で、それこそが正しいやり方である。
ただ、楽ではあるのだが、数の多さが必要である。
例えば、腕振り運動で難病を治した人は、毎日2千回以上を数ヵ月続けた場合が多いように、それだけの数を行うことで、無意識を活性化させ、難病という現実を健康という現実に作り変えたのである。
高僧や超能力者なら、心の操作だけでそんなこと・・・無意識を活性化させることが出来るかもしれないが、そんな才能や、その才能を育てる修行は難しいので、誰でも出来る楽な方法を取るのである。
まあ、楽と言っても、これで力を得た人達は、例えば、「寝ないで四股を踏んで2週間で成果を出す」とか、「寝食を忘れて四股を踏み、数年で誰の技も効かなくなった」といったようなことを言っており、これが1つの目安になるかもしれない。
しかし、力を得たいのであれば、大したことではないと思う。

まあ、四股までやる必要はないかもしれないが、腕振り運動をやるなら、これを毎日、長時間やる必要があるだろう。
だが、十分に力が抜けていれば、腕振り運動も四股も、気持ちが良く楽しくて、私の場合は、今はまだ少しは頑張っている感じはあるが、それもすぐになくなると思う。
そうなれば、もう他のことは、やりたいならやるし、やりたくないならやらないといった感じで良いだろう。
以下に紹介した書籍の、前2冊は腕振り運動の、後2冊は四股の参考になると思う。
ただし、この通りにやれば良いというものではないと思う。
とはいえ、間違いもなく、自分で気分良くやれる方法を見つければ良いのだと思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ