子供の時は、多くの人が奇跡を見たり、起こしたりしているものだが、ほとんどの人は、そのことを忘れている。
そのようなことが起こるのは、大抵、かなり幼い時のことだから、忘れてしまうのは仕方がない。
だが、私は、全てではないと思うが、奇跡のことを覚えている。
私の力は、アラジンの魔法の指輪のようなものだ。
アラジンの魔法のランプのような大きな力は多分ない。
しかし、それは悪いことではない。
魔法のランプを手に入れた子供は、それを手放してしまうのだが、指輪であればずっと身に付けていられる。
魔法のランプは、力が強いゆえに、うかつに使えないが、魔法の指輪であれば、割と気楽に使える。
だから、私も、割と他愛ないことに使ったかもしれない。
だから、大人になっても、魔法は有効で、ほとんど仕事をせずに、社会で良い思いばかりしてきた。

それで、どんなふうに魔法を使うのかというと、突き詰めると、「願った」というだけのことだ。
願えば叶うのである。
7歳の時、交通量の多い車道の向こうに行きたいと願ったら、「車は来ない」と思って目をつぶって車道に飛び込むと車は来なかった(絶対、真似しないように)。
9歳の時、天体望遠鏡が欲しいと願うと、誰かがすぐ譲ってくれたし、土星の環を見たいと思えば、夜空の星の中から選び取った最初の星が土星になった。
12歳の時、以前見たテレビドラマのある回を録画したいと思って録画装置のリモコンを持ったら、その場で、その再放送が開始された。
こんな話はゴマンとある。
全て、ただ「願った」だけである。
プログラマーになりたいと願ったら、勤めていた会社で、そんな仕事をする流れになり、アメリカやドイツやフランスの技術者がやって来て、一緒に仕事をしたこともある。そんなことがあったら自信がつくので、ますます、良いプログラマーになれるのである。その後も、世界が私の腕を磨くのを助けてくれたのだ。

もちろん、こういったことは、誰にでも出来ることだ。
だが、実際には出来ない者が多かった。
長い間、能力の差かなと思っていたが(笑)、そうではなく、出来ない者には、モラルとか良心というものが足りないのだと思う。
私も、十分とはほど遠いが、魔法を使えない者は、根本的にモラルや良心に欠けていた・・・とはいえ、世間的には、彼らが悪人というわけではないのだが。
ある時期は、私は19歳の時から読んでいた、ジョセフ・マーフィーの本を読んでいたから、うまくいくのだと思っていたが、他の者達に読ませてもやっぱり駄目だった。
だが、私が知っている優秀な経営者の社長室の本棚には、1冊くらいは、マーフィーの本があった。やはり、マーフィーの本は良い本なのだと思う。
だが、やはり、そんな社長達は皆、かなり高いモラルを持っていた。

私は、必ずしも、道徳や宗教や、あるいは、哲学や思想の本が、モラルとか良心を高めるとは思わない。
むしろ、そんな本を沢山読んでいる者こそ、モラルに欠ける場合が多い。
一応、モラルと書いているが、本当は、何と表現するのが適切なのかは難しい。それで、さっきから、良心とも言っているが、モラルでそんなに外れていないと思う。
現代人の多くは、法律で取り締まらないと、平気で悪いことをするほどモラルが崩壊しており、魔法の力は持たない。
私が思うところでは、モラルを得るために、最も良い書は、『銀河鉄道の夜』だと思う。
また、私が、魔法の原理を鮮明に感じる書は、『ソクラテスの弁明』と『真説宮本武蔵』、そして、スティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学での講演である。
以下にご紹介した本は、私も実際に持っている(『銀河鉄道の夜』や『ソクラテスの弁明』は、他にも持っているが)。








  
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