人生の目的なんて、自分がこれだと迷うことなく思ったものである。
そして、目的自体に優劣はない。
優劣があるとすれば、迷いがあるかどうかだけだ。

大島弓子さんの漫画『裏庭の柵をこえて』(1981)で、明石信(あかししん。男性)は、一流大学に現役合格するも、大学での目的が見い出せず、6月で退学した。
信の隣の家の小学3年生の少女、田森とみこは、夏休みが終わる8月31日が誕生日だったが、毎年、夏休みの宿題がその日までに終わらず、誕生日は辛い思い出ばかりになっていた。
ちなみに、作者の大島弓子さん自身が8月31日生まれであるが、作品との関連は分からない。
明石信は、とみこの夏休みの宿題をするためだけに生きるようになり、とみこが中学生になったら、家を出て行った。
こんな目的も、本人に迷いがなければ立派な目的であり、そうであるなら、他のことはなんとかなるものである。

法然は、念仏を唱えることだけが目的であったが、親鸞は念仏(あるいは阿弥陀仏)を信じることだけが目的だった。
ただ、親鸞の目的は、法然あってこそだった。
法然は、念仏だけを目的にしていれば、後は仏様が面倒を見てくれると言い、親鸞も、念仏以外のことはする必要がないと言った。
だが、親鸞には迷いがあった。
親鸞は好きな女性がいて結婚したかったが、当時、僧侶の結婚は禁止だった。
しかし、法然は、結婚した方が念仏を唱え易いなら(つまり、目的を果たし易いなら)結婚すればいいじゃんと言って、親鸞は結婚したのだ。
これは、私もよく分る。
私は、プログラミングが出来るようになることや働くことを目的にしたことはないが、真の目的を果たすためには、プログラミングをマスターしたり、働く方が便利だったので、そうしただけである。
このように、目的第一にしていれば、他のことは不思議にうまくいくのである。

目的自体は何でも良い。
誰もが尊敬する偉人の本当の目的が、実は、普通の人から見たら実にくっだらないことだったというのは、珍しいことではない。
ただ、迷いがなければ良いのである。
タバコくらいは吸えるようになるという目的だけで、大事業家になった人も実際にいる。
そもそも、自分の目的が素晴らしいか下らないかなんて、大きなお世話にである。
そして、人の目的を詮索するのは、迷いがある証拠というだけでなく、そんなことをする者はずっと迷うのだ。
だから、スケベ心は控えるべきである。
ああ・・・ちなみに、一生の目的なんかでなくていい。
今の目的があれば良いのである。

「次元、お前が泥棒をするのは何のためだ?」
「美味い酒を飲むためさ」
「俺もそうだが、それだけじゃない」
いや、それだけで良いのだよ、ルパン君。
※『ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~ 』より(多分…^^;)

※『裏庭の柵をこえて』は、『夏のおわりのト短調』に収録。








  
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