血と心は似ているところがあり、そして、呼応している。

身体の病気は、大抵、血流が悪くなって起こる。
精神の病気は、大抵、心の流れが悪くなって起こる。

血流が悪い時は、血の塊が出来ていたり、血の粘度が高くなっている。
心の流れが悪い時は、記憶痕跡という悪い記憶の塊が出来ていたり、心の粘度が高くなっている。

血流が悪くなり、病気になると、身体が不自由になり、身体が為すべきことが出来なくなる。
そして、心の流れが悪くなり、心の病気になるとどうなるかというと、世界を望むように創り上げることが出来なくなる。例えば、願いが叶わなくなる。

よって、血流を良くすれば、健康になり、若く、美しくなる。
心の流れを良くすれば、願いが叶い、世界は自分のものになる。
そして、肝心なことは、最初に述べた通り、血と心は呼応し、片方の流れが良くなれば、両方の流れが良くなる。
逆に言えば、血液か心のいずれかの流れが悪くなると、両方の流れが悪くなる。

だから、健康的な食事をし、運動をすれば、血流が良くなると共に、それに応じて、心が健康になり、願いが叶う傾向が高くなる。
また、心のこだわりが消え、気分がすっきりとして心が軽やかに流れるようになると、血流が良くなり、身体が健康になる。

あまり知られていないかもしれないが、私は、松田聖子さんの『メディテーション』という歌が昔から好きなのだが、この歌が、心が軽やかに流れる様子を美しく表現している。作詞作曲共、超一流の手による。

砂浜に腰をおろして
静かに瞳を閉じるの
波のハープだけ髪をふるわせ
透明になった心が流れ出すの
~『メディテーション』(作詞:松本隆、作曲:上田知華。唄:松田聖子)より~

腕振り運動は、心の流れも、血液の流れも良くする。
数を数えながら、リラックスした心地良い運動を、無意識にまかせてゆっくり行うことで、心が軽やかに流れ出す。
また、身体運動としての腕振り運動が、肩甲骨をほぐし、全身の血流が良くなる。
だから、腕振り運動を、筋トレのように力んで行っては、せっかくの、心が流れるようになる効果が弱くなる。
肩の力を抜き、無意識にまかせ、自動的に腕が振られるようにするのが良い。

また、「神様の奇跡が起こる」とか、「生命、愛、平和」という言葉を唱えると、心の流れがスムースになる。
これも、力んで必死に唱えるのではなく、静かに、ゆっくり繰り返すと良い。1日、10分でも20分でも、あるいは、空いた時間に、落ち着いてゆっくり唱えると、ストレスで出来た心の凝りのようなものをほぐし、心が流れるようになる。
嫌いでなければ、サンスクリット語の真言は、心が流れるようになる良いリズムを持っているので、唱えると良いと思う。
例えば、観世音菩薩真言であれば「オン、アロリキャ、ソワカ」だし、阿弥陀如来真言なら、「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」だ。

腕振り運動と言葉で、心と血の流れを良くすれば、健康で、若く、美しくなり、願いが叶い、この世界は自分の王国になっていくだろう。








  
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