人間にとって一番重要なものは自信だ。
自信のない者に見込みはない。
だが、自信はあるが実力が伴わない迷惑なやつがいると言いたい者もいるかもしれない。
しかし、そんなやつ(実力はないが自信だけあるように見える者)は、本当の自信を持っていない。
なぜなら、自信があれば実力は勝手に付いて来るからだ。
そのカラクリはこうだ。
本当の自信があれば、積極的に出て行き、そこで、自分の実力のなさを思い知るが、それはあくまで、現時点で実力がないだけであり、それで自信を失ったりしない。単に、これから実力をつければ良いだけであり、自信があって積極的な者は、すぐに実力を得る。

では、どんな者が自信を持っているかというと、一番望ましいのは、自信があるように育てられた者だ。そんな者は幸運であり、人生を楽に楽しく生きていける。
だが、推測出来ると思うが、そのような者は、今の世の中では少ない。
人工的で権威的な社会では、大人になるにつれて、自信を失うような仕組みになっているからだ。
見える実績や、見える力をどんなに身に付けたって、本当の自信はさっぱり得られない。
見えない力、透明な力を持つ者だけが、本当の自信を持てる。

自信より勇気が大切だと言う者もいるが、それは、そう言う者に勇気があるからで、その勇気は自信に支えられていることに気付いていないだけだ。
自信のない者に勇気があったりはしない。
エマーソンが「根拠のない自信を持て」「無制限に自分を信じろ」と言ったのは全く正しい。
しかし、普通の人には、それは出来ない。

では、自信は、どうすれば得られるか?
腕振り運動をすることによって。
ただし、半端ない数をやらないといけない。
もちろん、腕振り運動が唯一の方法ではなく、何でもいいから、延々繰り返す行を、無駄な努力と了解し、何も求めず、愚直に行えば良いだけだ。
どのくらいやれば良いかというと、自信がつくまでだ。
あらゆる行の中でも、腕振り運動が、結局、一番楽で、一番間違いがないと思う。
一方、坐禅、静坐、読経、祝詞、念仏・・・などで、心身の邪気を祓い、自我を浄化させることは、かなり難しい。
そこにいくと、例えばだが、『気功革命』にある「甩手1」で、邪気を祓えば、身体も心も、自ずときれいになる。
自信がある者が、「雨よ上がれ」と言えば、雨は上がる。
自信がある者には、望まなくても幸運が訪れる。








  
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