腕振り運動を行うと、確実に頭が良くなる。
統計的なデータみたいなものがあるわけではないが、脳の仕組み的に、そうであると確信している。

今朝の記事で述べたが、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンは、2014年のTEDの講演『なぜ我々は祖父母世代よりもIQが高いのか』で、後の世代の人間の方が前の世代の人間よりIQ(知能指数)が高いという調査結果と、その理由の考察を示した。
興味があれば、このブログの、今朝の記事『目が覚めたら王様だったら?』に詳しく書いたので、ご参照願う。

ところが、フリンの研究の後も、人々のIQに関して統計が行われているのだが、何と、IQの伸びは1990年あたりに頭打ちとなり、2010年頃から明確に下がり続けているらしい。
これに関し、岡田斗司夫さんが動画でうまく説明してくれているが、私が見たのは非正規動画(いわゆる「切り抜き」)だったので、岡田さんの話を参考にしつつ新たに(多分もっと良くw)述べる。

頭が良いことを含め、能力が高いというのは「集中力がある」ことだ。
集中するほど、持っている実力を発揮出来るだけでなく、集中する訓練により集中力が高まると、実力も高くなることは、だいたい同意いただけると思う。
つまり、スポーツ、音楽演奏、武道、勉強などで、集中して行う訓練をすればするほど(限度はあるが)、訓練している分野はもちろん、人間として全体的に優秀になっていくのである。
ところが、よく、「この子は集中力がない」などと言われる生徒等がおり、そんな者は、確かに優秀になれない。
だが、学校等で集中力のない生徒や選手がいるのは、指導者の問題なのである。
なぜか?
人間は(特に子供は)、集中力がないのが当たり前であり、有能な指導者のみが、指導している相手に集中をさせることが出来るからである。

人間というのは集中力がない・・・元々、集中するように出来ていない。これは本当だ。
文明なんてものが出来たのは、人類の長い歴史の中で、ごく最近のことである。
だから、今の人類だって、原始時代の名残を色濃く残している。
原始時代、人間は、猛獣の襲撃に備え、常に周囲に意識を向ける必要があり、自分がやっていることに集中することなど出来なかったのだ。
農耕社会の歴史も狩猟時代に比べると短いし、農耕地帯にも野獣はいただろうから、やはり、人間は「集中してはいけなかった」のである。

そんなわけで、人間は本来、集中力がなく、うまく訓練しないと、能力は低いままだ。
だが、集中した方が仕事や戦いのパフォーマンスが上がることが自然に理解され、徐々にだが、人類は集中することを覚え、だんだん能力が高くなってきた。
だが、やはり、その進歩は一般には鈍い。
ところが、特殊なグループの中で、優れた集中の訓練が開発され、そんなところでは、異常に優秀な人間が育ったし、また、生徒をうまく集中に導くことが出来る学校では、多くの生徒を優秀にしてきたのである。
仏教では、特に真言密教では、真言を長時間唱えることで、集中力を磨き、集中力が高度になれば超能力を発揮することも分かっているのだと思う。

だが、テレビやラジオ、あるいは、音楽レコードのプレーヤーが普及することで、それらを見たり聞いたりしながら、勉強や仕事をすることで、人々は集中力を失い、それで、1960年代から、人間のIQの向上が鈍り、1990年くらいには完全に頭打ちとなり、スマートフォンが普及した2010年頃からは、人々のIQは坂を転げ落ちるように低下したのである。
スティーブ・ジョブズが、自分の子供に決してスマートフォンを与えなかったのは、ジョブズには、直観的にそれが分かっていたからだろう。

そんなわけで、集中力を失くし、頭を悪くしたくなければ、スマートフォンをなるべく、見ない、触らないことである。
スマートフォンを見る時間が長い人ほど頭が悪いことは、なんとなく分かると思う。

そして、例えば、一部の密教の教団が行ったように、真言を長時間唱えて、集中力を上げることは、頭を良くする良い方法なのである。
真言でなくても、中村天風が教えたように、常に肛門を引き締めることに意識を向けることで、余計なことに意識が向かず、集中力を高めることが出来る。
超一流数学者の岡潔が毎朝、念仏を1時間唱えていたのは、あくまで信仰のためではあったが、これもまた集中力を磨くのに役立ち、岡潔は数学のみならず、あらゆることで高度な能力を発揮したのだと思う。
しかし、岡潔のように念仏に集中するには、強い信仰が必要で、岡潔の場合は、弁栄という素晴らしい僧に会ったから、そんな信仰を持てたのである。
念仏以外の、真言、お経、祝詞、神仏の名・・・なども、毎日、それなりの時間唱えることは難しく、私も苦労した。
しかし、身体を動かす腕振り運動であれば、私は、多少の根気は要るとしても、かなり気持ち良くやれるのである。

集中力が高まれば、知性などの能力が高まるだけでなく、直観が冴えたり、アイデアが閃くようになる。さらには、特殊な密教的集団では知られていると思うが、神秘的な力が現れ、シンクロニシティ(共時性)が起こったり、超能力が備わったり、世界を支配する力にまでいたる可能性がある。
腕振り運動は、努力、忍耐、克己等の資質を持ち合わせていなくても、集中力を獲得出来る秘法であると思う。
やらなければもったいないと思う。








  
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