徳川家康は、身の程を知れば天下も取れると言ったが、まあ、大昔から賢い人は皆そう言っている。
だが、憶えておかないといけないことは、「人間の心は身の程を知らないように出来ている」ということだ。
だから、心を引き締める鍵を持っていないと、人間は必ず、身の程を忘れる。

賢い支配者は、大衆に対し、「お前達は平民の自覚を持て」、つまり、「身の程を知れ」などとは言わない。
一方、馬鹿な支配者は、大衆にそんなことを言うので、支配は長く続かない。
長く支配を続けることが出来る独裁者は、大衆に「君たちは特別な存在だ」と言うのである。
その上で、恐怖を与えるとうまくいくのだ。
そんなことは、世界を見ても、また、歴史を見ても明らかだ。
人間は、身の程を忘れた時に、能力も運も失うのだから、大衆を愚かなロボット奴隷にするには、身の程を忘れさせるに限る。
フランス革命がなぜ起こったのかというと、支配者達が大衆に「自分達は特別である」という幻想を与えず、「身の程を知れ」と高圧的に言い、大衆は反発をしたかもしれないが、現実的に、身の程を知らざるを得なかったからだ。
その一方、支配者達は馬鹿になって、身の程を忘れた。
それで、大衆の中に優秀な者が沢山出て、支配者は無能になってのだから、富の差があるに関わらず、勝負は明らかだった。
「身の程を知る」ことは、これほどまでに、人間の能力、運・・・つまり、力を左右するのである。

自分を特別視する中二病を患う者に力は全くない。
「いや、自分には不可能に思えることに果敢に挑戦するから、強く大きくなれるのではないか?」
と言う者は、本当に嫌になるほど沢山いるが、それをやって悲惨な結末に至らなかった者はいない・・・つまり、それをやって成功したやつなんて本当はいないのだ。だが、我々は、そんなやつがいると思い込まされている。
織田信長は、銃弾飛び交う戦場の中を「俺に弾は当たらん」と悠然と歩いたという伝説があるが、合気道家の藤平光一氏は、本当にそれをやったと著書に書かれていた。
だが、「では俺も」と真似する者は、ロシアン・ルーレットを好んでやる馬鹿と同じである。
ところが、学校やテレビは、子供や人々に対し、なんでもかでも「チャレンジだ」とそそのかすのだ。身の程を忘れさせてね。

私は、身の程を知らない典型例を知っている。
以前勤めていた会社の職場にいた、まるでダメ男と呼んでいた男だ。
歳は32歳くらいだった。
彼女が欲しいというので、「どんなのがいい?」と聞くと、「二十歳くらいの・・・」と言う。
「起業して経営者になるか?」と冗談で言うと、「いいですねえ」とやる気満々だ。
まさに、身の程知らずを絵に描いたような男だった。
この男に身の程をわきまえさせるのは、ほとんど不可能だが、それより、自分に身の程をわきまえさせることが難しい。
だから私は、まるでダメ男は自分だと言い聞かせている。

日本人の結婚率がひどく下がっていて、その理由について偉い人やインフルエンサー達が的外れなことを言っているが、本当の理由は、日本人が身の程を忘れたからだ。
身の程をわきまえず、自分に不釣り合いな相手を求めているから結婚出来ないし、しないだけだ。
ある37歳の独身の会社員の女性が、社内の40歳の独身男性に交際を求められたが、「誰があんなオッサンと」と憤慨したそうだ。そして、「私が好きなのは新入社員のK君なのに」と言う。
これは、いまや決して極端な例ではない。

私は、自分がまるでダメ男だということを忘れがちだ。
当面、天下は取れそうにない(笑)。
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