人間の幸福度は、何をどれだけ信頼しているかにかかっているのかもしれない。
究極的には、自分や神を信頼しているかだが、こんな疑問が浮かぶ。
それは、「信頼とは何か?そもそも、信頼というものが本当に存在するのか?」である。
政府や大企業は、すぐに信頼という言葉を使い、いかにも自分達が信頼ある存在であるかのように言うが、それらのものに裏切られ続けた人々がそれらのものを信頼しているかは疑問だ。
親はともかく、教師への信頼も低いのではないかと思う。

たとえ架空の世界の話でも信頼を描くのは難しいが、それが出来れば、その作品はヒットする。
例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まる『涼宮ハルヒ』シリーズは、それに成功していると思う。
涼宮ハルヒという高校1年生の少女は、相当な美少女で性格は風変わりとはいえ、その他はいたって普通に見える。
だが、本人は気付いていないが、気分次第で世界を消滅させることが出来るだけの力を持っている。
それで、ハルヒやキョン(主人公の1人。ハルヒのクラスメイトの男子)達SOS団(ハルヒが作った同好会)が選手として参加している野球チームが負けそうになるだけで、世界はマジな危機になり、キョンや長門有希や古泉一樹らが宇宙的反則技を使って試合に勝ち、世界を救うという、とんでもないことをやるハメになる。
だが、その後、SOS団が、今度は、コンピューター研究会(ハルヒの高校の部活)とパソコンゲームの勝負をすることになり、敗北の可能性が高かったが、キョンはそれほどあせっていなかった。
ここで、古泉一樹(見かけは普通のイケメン男子高校生。実はハルヒを監視する「機関」のメンバー)は、キョンに、ハルヒとキョンの間にある信頼関係を指摘する(キョンは反発したが)。
その「信頼関係」が見事で、私は感動する。
まず、キョンのハルヒに対する信頼だが、「ハルヒも精神的に成長しており、もうゲームに負けるくらいのことで、世界を危機に陥れることはない」で、キョンは、その信頼を持っているからこそ、その状況で落ち着いているのだ。
一方、ハルヒのキョンに対する信頼は、「キョンなら何とかしてくれる(今回のゲームでも負けない)」で、その信頼もまた、揺るぎなく強いものだ。
何だか、初めて、信頼というものを見た気がする。

ところが、私は最近、もっとくだけた漫画・アニメで、素晴らしい信頼を見た。
『からかい上手の高木さん』という、非常に人気がある作品だ。
中学1年生の高木さん(女子)と西片(男子)というクラスメイトのドタバタ劇だ。
ことあるごろに高木さんは西片をからかい、西片があせったり、恥ずかしがったりする様を見て高木さんが楽しむという構図で、西片はなんとかやり返そうとするが、全く高木さんに歯が立たない。
中学1年生では、女の子の方がずっと大人だが、確かに子供っぽい西片に対し、高木さんは本来は大人っぽく落ち着きがある。
その上、高木さんは、かなり頭が良い少女ということもあり、いともたやすく西片を手玉に取りスキがない。
さらに、高木さんは、明らかに、自分が美少女だというアドバンテージ(優位性)も利用するのだから、どう考えても西片に勝ち目はない。
それで、いつも一方的に西片が高木さんにからかわれ、悔しい思いをし、高木さんが喜ぶのだが、2人の間に大きな信頼があることに気付く。
まず、西片の高木さんへの信頼であるが、「いくらからかっていても、高木さんに悪意はなく、限度も超えない(加減してくれている)」である。
そして、高木さんの西片への信頼は、「いくら私にからかわれて悔しい想いをしても、西片は許してくれる」である。
もちろん、2人は、そんなことを理屈で考えているわけではないが、この信頼関係は揺るぎなく、しっかりと成り立っている。

上でも述べたが、この信頼関係があるからこそ、作品が大ヒットするのであり、単に面白い作品が成功するのではない。
この2作品で信頼を学べば、友人、恋人、夫婦、仲間と良い関係を築き、さらに、自分や神を信頼するコツが分かると思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ