アメリカのSFテレビドラマ『トワイライトゾーン』の中の1つの話だと思うが、自分そっくりのアンドロイドを作った男の話がある。
そのアンドロイドは、全く人間と見分けが付かないほどの出来で、何と、そのアンドロイド自身が、自分を人間だと思っていた。
そのアンドロイドを作った男は、自分そっくりのアンドロイドに言う。彼は、30代か40代だったと思う。
「俺は、どこかなりきれないんだ・・・大人にね。皆、子供の時は、博士になる、偉くなると言う。しかし、やがて言わなくなる。だが、俺は違った」
つまり、そんな心構えで、ついに、科学の限界を超え、精巧なアンドロイドを作ったのだろう。
ところで、この彼のセリフを見ると、現代では、彼のような人間を指す最適な言葉がある。
「中二病」だ。
「中二病」をgoo辞書で検索すると、

思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄(やゆ)する俗語。具体的には、不自然に大人びた言動や、自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み、またはコンプレックスなどを指す。

とある。
この定義の中でも「自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み」が、中二病の最大の特徴と思う。
大人で中二病を患っている者も多いと言われるが、それがこのアンドロイドを作ったことになっている男である。
このお話は、あくまで創作なので、この中二病の男は、大きなことを成し遂げたように見える。
だが、現実の中二病の人間は、「自分は特別だ」という誇大妄想を持っているが、残念ながら、ほとんどが凡人だ。
天才画家のサルバドール・ダリは、自分は天才で特別な人間であることを臆面もなく公言したという話がある。
ダリほどの本物の天才でも、そのような発言は見苦しいのに、凡人であれば、もはや「痛い(甚だしく恥ずかしい様を示す俗語)」以外の何物でもなく、実際、中二病の凡人ほど痛いものはない。
ところで、ダリのそのような発言は、風説(うわさ話)に過ぎないか、ダリの冗談だったという話もあり、おそらく、このいずれかと思う。
尚、『トワイライトゾーン』の、その自分そっくりのアンドロイドを作った中二病の男は、そのアンドロイドに殺された。
このアンドロイドは過剰な自意識が作った妄想の象徴として描かれたのだろう。

現代は、中二病の人間が多いという。
特別に誇れるものなど何もないのに、自分を特別視する困った人。
あなたの学校や職場にも、1人、あるいは、何人かいるのではないだろうか?
以前、私が勤めていた会社の職場にいた、まるでダメ男君に、冗談のつもりだったが、私は、「君も事業を起こして経営者になってはどうだい」と言ったら、彼は大真面目な顔で「いいですねえ」と答えた。これも中二病であろう。人並の仕事も出来ないのに、人の上に立つことを妄想しているからだ。

中二病を肯定する者もいる。
ある成功者は「僕は中二病ですよ。皆、中二病になればいいんです」と言っていたが、まあ、そんな面もあるのだろうが、駄目な中二病には言ってはならないことと思う。
こんな立派な人に言われて、勘違いを強化した中二病者は、人生をさらに悲惨にする可能性が高い。

自分を特別視することが、必ずしも悪いわけではないかもしれない。
ただし、それが許されるのは、その根拠があったり、そうでないなら、相応しい覚悟がある場合だけだろう。
そんな中二病者など、まずいないだろう。
何の根拠もない妄想で自分を特別視するが、辛いことがあったら、すぐに逃げて言い訳をし、冒険に挑む勇気もない。

中二病は、家庭の誤った教育によって作られるのだと思う。
あくまで個人的な考えとするが、大方の場合は、特に母親が愚かなのである。

何歳まで中二病が許されるかというと、子供でもまずいのである。
夢を持っていたり、自由に生きたいと思うことと、中二病のように自分を特別視することとは、全く別のことだ。
夢や自由は与えられるものではなく、それを得たいなら戦う覚悟がいる。
覚悟を持った者ほど、自分は大した人間ではないことを知っている。
また、覚悟を持った者は、何ごとも人のせいにしない。だから言い訳をしない。
一方、中二病者ほど言い訳の多い者はない。
覚悟がある者は、欲張らず、文句を言わないが、中二病者は欲張りで、文句ばかり言う。

結論を言えば、中二病者は人並以上のことは出来ない。
自分は中二病だと言う成功者は、中二病を誤解しているか、何か妙な意図でもあるのだと思う。

誰もが特別であるという意味でなら、なるほど、私もあなたも特別だ。
しかし、自分だけが特別であるとか、あるいは、自分以外では、人々に称賛されるような人間だけが特別と言うなら、救いようのない幼稚な中二病だ。
現代で多いのは、良い大学を出たというだけで、何か自分は特別だ、優秀だと思っている馬鹿で、そんな者は中二病を患っている可能性が高い。

自分を根拠なく特別視せず、もし、上に立ちたいなら、根拠があっても自分を特別視しないことだ。
立派な人間、真に優秀な人間は言い訳をしないものであり、そのためには、欲張らず、文句を言わないことだ。
そうでなければ、潜在意識の無限の力も引き出せない。
なぜなら、自分を特別視する人間の薄汚れた自我は、潜在意識への通路を完全に塞いでしまうからである。








  
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