映画やアニメの中の、普通のスポーツや勉強とは異なるスピリチュアルな要素が大きい修行風景は、何か心躍るものがある。
例えば、『マトリックス』で、ネオがモーフィアスに導かれながら、仮想空間での戦い方を身に付けていく場面だ。
ここでは、心の能力が強さを決定する。
「速く動こうと思うな。速く動けると知れ」
といった感じである。
実は、このようなことが描かれた映像作品は多い。
日本のアニメ映画『HELLO WORLD』では、堅書直実(かたがきなおみ)が、先生(10年後の自分だが)の指導の下、思考を物質化する能力を磨き上げていく。
他にも沢山あるが、このネオや直美の訓練は、非常に熱が入っており、見ていると、自分もこれだけ熱心に集中して何かに打ち込めたらと思うに違いない。
分かり易いのは直美の場合で、これまで欲しいと思いながら全く縁のなかった「彼女」というものに、美少女、一行瑠璃(いちぎょうるり)がなるかどうか、そして、恋人関係になった後は、彼女を守れるかどうかがかかっていたのだから、熱も入ろうというものだ。
ネオの場合も、やはり強い動機があった。

普通のスポーツや武道のトレーニングでは、才能や根性といった現実問題があり、なかなかうまくいかないし、特に現代人は「努力したからって何でも出来るわけではない」ことを理屈で理解している。
しかし、上のネオや直美らの場合は、あくまで心の問題であり、素質も頭の良さも無関係で、ある意味、執念を持つ理由があるかどうかだけが問題である。

そして、『マトリックス』にしろ『HELLO WORLD』にしろ、仮想空間の話なのであるが、我々の現実世界も同じなのである。
漫画・アニメ『魔法騎士レイアース』で、異世界セフィーロに来て間もない頃、14歳の極めて聡明な少女、鳳凰寺風(ほうおうじふう)は、とてつもなく遠くの的を弓矢で射貫く必要に迫られるが、遠過ぎて、とても当たるとは思えない。だが、そこでフェリオ(風の恋人になる少年)が言う。
「ここ(セフィーロ)は想いが全てを決める世界だ。お前が当たると思えば当たる」
それを聞いて、風は悟る。
「私(わたくし)が当たると思えば…矢は当たる」
そして、風の放った矢は、見事、目標を貫通する。
セフィーロが、想いが全てを決める世界と言っても、我々の世界も同じである。
想いが全てを決める・・・つまり、信念が何より重要な世界だ。宇宙のいかなる場所もそうであるし、そうでない宇宙は存在しない。
合氣道家の藤平光一は、毎朝、鏡を見ながら「お前は信念が強くなる」と念じたそうだが、そんなやり方もあるというわけだ。
新約聖書の福音書にも、湖の上を歩くイエスに「来い」と言われたペテロも水の上を歩くが、途中で疑いを持ち、沈みそうになり、イエスに助けを求める。
イエスは、「なぜ疑った。信仰の薄い者め」とペテロを叱る。
イエスは、ペテロの信念の弱さをたしなめた(反省をうながした)のだ。

信念を得るには、一般的には、成功体験が必要とされる。
それは、小さなもので良い。
自分には出来るということを認識すれば良い。
私は、中学の1年の時だったが、ある簡単な一人遊びのゲームを作ったことがある。
きわめてアナログなゲームだ。
簡単な1回のゲームで、勝ちか負けかが、全くの偶然で決まる。
つまり、勝率は50%だ。
ところが、そのゲームを初めてやった日、私は27連勝で一度も負けないまま終わった。
コインを投げてずっと表を出したに等しい。つまり、確率的にあり得ない。
別の日にやってみたら、確かに、勝ちと負けは、ほど同数になった。
初めてやった時の私は無であった。
そのようにやれば、この世界は自由自在である。
ドストエフスキーの『賭博者』でも、初めてルーレットをやった老婆は、ずっとゼロに賭け、大勝する。しかし、別の日に、同じようにやったら大敗する。
最初の日は、信念があった、あるいは、無であった。
そして、実は、信念があるとは、無であることなのだ。
無になるために情熱が役に立つことがある。ネオや直美のように。
ただし、欲があってはならないのだ。
絶対に、欲張ってはならない。
ここらが難しい。
あなたにとっての、一行瑠璃を見つけることだ。
人類最高の信念をもつ人間であるイエスに信念を学ぶために新約聖書の福音書を読めば道は開けるだろう。








  
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