人間は、病気で苦しいと、仕事がどうでも良くなる。
政治家は世界に興味がなくなるし、経営者は会社のことがどうでも良くなる。
「まさか、そんなことはない」と言う者も多いだろうが、本当に苦しければ、完全にとは言わないまでも、かなりそうなる。
そして、仕事への関心を低減しないと治らないことが多い。

経営者が病気で苦しみ、ある程度、会社への関心を失った時、部下の会社幹部達に、
「私は順調に回復している。会社のことは、お前達を信頼しているので安心している」
と、この時点では、まだまだ心にもないメッセージを送る。
俺が復帰したら、あいつらの不首尾を挽回しなくてはならないという気持ちは、まだある。
ところが、自分が休んでいる間、会社はちゃんと回っていたし、やむなく権限を譲渡した者も、思ったよりうまくやっている。
ひょっとしたら、俺は居ても居なくても、そんなに変わらないのかと思う。
それで、俺の病気は、そのことを俺に気付かせるための、見えない者が仕組んだものではないかと思う。
病に伏している時も、うっすらと、そんなことを考えていたのである。
健康を回復し、仕事に復帰したら、そんなことは忘れてしまうように見えても、人を信用しようという心構えは高まっているのである。

別に、社長でなくても、病気というものは、謙虚さを覚える薬のようなものだ。
自分は、それほどの存在ではなく、この世での役割の一部を担っているだけだ。
不要な人間などいないが、かといって、1人の人間の役割など、たかが知れている。
いつまでも、そう思わないなら、どんどん病気が重くなったり、自由を奪われるトラブルに巻き込まれる。
たとえ、トランプ大統領のような人だって、あまりに自分に固執すると、やはり、この世から取り除かれるが、彼はそうではないと思う。
多くの人が、次の大統領選挙にトランプに出て欲しいと思っているが、彼はむしろ、自分以上にやってくれる人がいることを望んでいるだろう。
次の大統領選では、彼ももう78歳になるが、これは大統領に相応しい年齢ではない。
しかし、次の大統領選で、82歳になるバイデンや、トランプと同じ78歳になるヒラリー・クリントンは出馬する気十分なのである。

伝記によれば、アインシュタインは自分を全く重要視していなかったという。
亡命したアメリカでプリンストン高等研究所に研究員として入る時も、全く高給を要求せず、また、いつもヨレヨレの服を着ていても平気だったし、頼まれたら中学生の数学の宿題も手伝った。
アインシュタインは自分を重要人物と見なしていなかったから、ナチスが自分の首に高額の賞金をかけた時も、あまりピンと来ず平気だったようだ。
そして、ネットの時代こそ、自分を重要視せず、自由に言ったり動いたりする者の時代なのだと思う。








  
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