誰もが、いろいろなことに取り組み、努力をして頑張ることもあるが、結局は全て、神の意思の通りになる。
それなら、最初から神の意思にまかせ切り、足掻かない方が良いのかもしれない。
そのように生きることを勧めた賢者は、江戸末期の神道家、黒住宗忠や、2400年前の中国の道教思想家の荘子らがいるが、つまるところ、本物の賢者は、ほとんどがそんなことを言ったのだと思う。
アダムスキー型UFOにその名を残す宇宙人とのコンタクティ(会見者)であるジョージ・アダムスキーは、「神は心より上位にある。だから、心を最優先してはならない」と言っていたことから、私は、アダムスキーを、少なくとも哲学者として一目置いている。彼が本物のコンタクティであったかどうかは、そもそも、知り様がないので、信じてはいないが、疑ってもいない。
言うなれば、自分の心が、どう思っているかではなく、はるか上位の神がどう思っているかの方が重要なのである。
別に、自分の心を否定しなければならないわけではない。だが、正しいかどうかは、神ならぬ身としては分からないのだ。
だが、自分の心を最優先する者が多くなってきた。
つまり、価値や優劣を全て自分が決めたがる愚か者が多過ぎるのである。
荘子は、賢い人は、優劣を付けないし、もっと賢い人は区別すらしないのだと言ったのだ。

私は、実は、好き好んでプログラマーやシステムエンジニアになったのではなく、あり得ない偶然が重なって、ほとんど強制的にプログラマーになったのだった。
それは、神の意思に従ったというより、逆らわなかったと言った方が正しい。
それほど積極的ではなかったが、かといって、嫌がったわけでもないという感じだ。
何かスキルを身に付けたいと思っていたわけでもない。
私がなりたいのは魔法使いくらいだし(笑)。
こういうのを、「なりゆきにまかせる」と言うのだが、確かに、昔から私が愛読していた『荘子』で、荘子(荘周)は、「なりゆきにまかせる」ことを何度も勧めているのである。
いや、荘子が教えたのは、なりゆきにまかせることだけかもしれない。
誰でも、神に逆らわず、神の意思のまま…つまり、なりゆきにまかせていれば、そう悪いことにはならないと思う。

で、神に逆らわず、なりゆきにまかせる場合、不安を持たないことが大切だ。
私は最初、社会の最底辺のような場所にいたが、全くとは言わないまでも、あまり不安は感じていなかった。
若い時に勤めていた会社の社長は、単身、外国で営業をすることで事業を発展させたが、私が、「不安はなかったか?」と尋ねたら、「不思議となかった」と言われたのが印象的だった。
彼もまた、なりゆきにまかせていたのだろう。

確かに、『荘子』には、なりゆきにまかせた結果、悲惨な最後になった者も登場する。
しかし、本人は、いたって幸福そうだった。
まあ、荘子の時代は、今では考えられないくらい、庶民に希望がなかったので、「なりゆきにまかせれば成功する」という言い方が、どうしても奇妙に感じたのだと思う。
一方、『荘子』には、何もしなければしないほど良い御身分になる話が多い。
昔から思っているが、『荘子』は、まさに、実用的な魔法書、超能力開発書だ。
重箱の底をつつくような解説をしているものではなく、下にご紹介したような、分かり易い『荘子』を読むと良い。








  
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