念仏を唱えてはならない人とはどんな人かというと、過去に念仏を唱えたり、あるいは、聞いている時に、こんなことがあったという人だ。
例えば、大地震が起こって家が崩れて生き埋めになったり、強盗が入って、家の人が殺されたり、自分が刺されて大怪我をしたりといった被害に遭ったり、その他の、恐怖や苦痛を感じる出来事があった人だ。
そんな人の場合、念仏を聞いたり唱えたりしたら、強制的に精神が異常状態になる場合がある。
それがどんな状態かというと、潜在意識が「念仏は危険」と判断し、すぐに逃げたり、戦ったり出来るよう、筋肉に血液を送り、脳や内臓や免疫機能への血液の供給が少なくなる。
それで、理性は通常より低いレベルになって感情に支配されたり、長時間続くと、内臓や免疫が弱い状態が続くことで体調が悪くなり、下手をすると病気になる。
宮沢賢治が、念仏や浄土仏教が大嫌いで、法華経が好きだったというのも、実は、まっとうな理由ではなく、上のような原因があったのかもしれない。

若者が切れやすい(我を忘れて狂気の状態になりやすい)と言われて長いが、切れる理由の1つはこんな感じだ。
まだ小さい頃、自分が何か失敗した時に、それを見ていた母親が怒りの言葉や罵倒の言葉と共に、その子を叩いたり、脅したりして、その子に恐怖を味あわせる。
すると、その子には、その記憶が潜在意識に残り、その子は大きくなっても、あの時の母親の罵倒する言葉(例えば「馬鹿」)を聞いたり、あるいは、母親の声や、母親の声に似た声を聞くことで、筋肉に血液が多量に流れて、脳への血流が少なくなって理性や思考力を失い、攻撃的になるのである。

切れるかどうかはともかく、子供は母親に関係する、理性や思考力を失う鍵を沢山持っている可能性が高い。
また、母親だけでなく、父親、きょうだい、さらには、家そのものにも、理性や思考力を失わせる何かがある場合も多い。
だから、実家暮らしをする者が切れやすかったり、理性や思考力を失って、無能化、さらには、狂人化する可能性が高いのである。
だから、実家は出来るだけ早く出、母親とは、なるべく早く別れる方が良いのである。

とはいえ、親やきょうだいや家に関係なく、どこにでもある何かが、あなたの理性や思考力を失わせ、内臓や免疫機能の働きを阻害するかもしれない。
それは、潜在意識の強制的反応なので、自分にはどうすることも出来ない。
どうしても怒りが抑えられない、恐怖や不安に負けてしまうというのが、潜在意識的反応であれば、いかに意思を振り絞っても勝てない。
例えば、床の上に置いた幅30cmの板の上を歩くのは簡単でも、板が、家と家の屋根の間に置かれたものであれば非常に難しく、高いビルとビルの間に置かれたものなら、能力的には何の問題もなく出来るはずなのに、恐怖に負けて決して出来ないのと同じだ。

あなたに恐怖を感じさせたり、無能状態に陥れるものが何か分かっている場合は、NLP(神経言語プログラミング)で治せるかもしれないし、分からない場合でも、アレクサンダー・ロイド博士が開発したヒーリングコードで治せるかもしれないが、いずれも非常に難しいかもしれない。それらのプロを名乗る人が信用出来るかどうかも分からない。
中村天風が、常に肛門を引き締めろと言い、岡田虎二郎が、常に腹に力を入れろと言い、また、高位の念仏行者が、常に念仏を唱えよと言うのは、彼らが意識的に分かっているわけではないかもしれないが、そうしている限り、潜在意識的にあなたを無能化する力が働かないからだ。
しかし、そんなことをするのは、やはり極めて難しい。

そこで、狂気に陥っても当然な環境にありながら、理性を保った人の経験が参考になる。
例えば、ナチスの強制収容所の地獄の生活で、長期に渡って理性を失わず、そして、生き延びたヴィクトール・フランクルの経験である。
幸いなことに、精神科医で心理学者であった彼は、強制収容所にいた時の自分の精神について、詳細に書き残してくれている。
例えば、彼は、新婚だった妻に、心の中でずっと話しかけていた。
彼が書いた『夜と霧』には、我々が理性ある人間であることを保つための貴重な知恵が見いだせるに違いない。








  
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