人間の力を封じ込めているのは、潜在意識の中の苦痛の記憶だということは明らかだ。
詳細を知りたい場合は、L.ロン.ハバートの『ダイアネティックス』や、アレクサンダー・ロイドの『ヒーリングコード』を読めば分かる(それほど簡単ではないが)。
潜在意識の苦痛の記憶は、『ダイアネティックス』では「エングラム」、『ヒーリングコード』では、「細胞記憶」と呼んでいるが、両者はほぼ同じもので、それらが出来上がる過程も、両者で見事に一致する。
ただ、いずれも、それを解消する方法が、これらの本にも書かれているが、特に、『ダイアネティックス』では、常識的に考えて、書かれていることの実行は、ほとんど不可能と私は思う。
『ヒーリングコード』では、「細胞記憶」の癒し方に辿り着く前に、読むことを諦めることになりはしないかと思う。

人間の力を封じ込めている苦痛の記憶を無害化すれば、人間は超人になる。
それをする方法も、優れた人達が明かしてはいるが、それを口頭で聞いて文章にする際や、翻訳の際に、かなりの齟齬が発生するのだと思う。
だから、どの本も分かり難いし、間違ったことが書かれていることもあると思う。
また、書いた本人が本当に分かっていても、文章にしてうまく伝えられるとは限らないし、実際は、大抵の場合、伝わらない。
その方法を、最も適切に書いたのは、私の考えでは、アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードであると思う。
だが、彼の本には余計なことが書かれ過ぎている。
本当に大切なことだけ、数ページで書いてくれれば良かったのにと思うが、それでは本にならなず、出版ビジネスが成り立たない。

ハワードは、「自分の心を観察しろ」と言ったのである。
そして、ほとんどの賢い人達も、結局は、そう言っているのである。
とはいえ、「自分の心を観察しろ」では、不親切過ぎて、ほとんど誰もうまくやれない。
ちゃんと親切に言うなら、「何かを見たり、聴いたり、触れたり、嗅いだり、味わった時、心がどんな反応をするか観察する」なのである。
バラの花を見た時、モーツァルトの音楽を聴いた時、パスタを食べている時、心がどんな反応をするか、ひたすら観察する。
冷徹な科学者のように。
心が喜んでも、怒っても、悲しんでも、ただ、そんな反応を静かに観察するのだ。

このようなことが書かれた本は他にもあるが、「心の反応を観察しろ」と言わず、単に「心を観察しろ」と言うから戸惑い、全く続かない。
心の反応を観察していたら、何が起こるか?
これに関しても、ヴァーノン・ハワードですら、「驚くべきことが起こります」と、最悪のことを書いているのだ。
「驚くべきことが起こります」と書かれているのを読んだ時の心の反応も観察すべきだが、そんな時は、落胆や戸惑いを観察せず、落胆し、戸惑ってしまうのだ。
心の反応を観察していたら何が起こるのかというと、心を反応させている指令信号を消してしまえるのである。
人間の心はコンピューターで、いろいろなものを見たり聞いたりした時、特定の反応を起こすようプログラムされている。
ところが、我々の意識は、心より上位のコンピューターで、心の反応を意識が静かに観察すると、心に反応を起こさせているプログラムが自動修正されるのである。
おっと、こんな言い方を好まない者もいるだろう。
では、こんなのはどうか?
我々の心の中に、強制的な反応を起こさせる悪魔がいる。
ところが、意識が心の反応を観察すると、悪魔の力が弱まるのである。
悪魔が余計な反応を起こさせるのをやめると、心は自然な働きをする。
「自然な」これこそが正しさなのである。
自然であれば、自然そのものである全宇宙が味方する。
そうなれば、人間に不可能はない。








  
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