賢者が好きな話というものがある。
アメリカの哲学者で、最大の賢者の1人と考えられていると言って良い、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、有名なエッセイ『自己信頼』の中で、「あの有名な飲んだくれの話」として取り上げているものは、おそらく、エマーソン自身が好きな話なのだろうと思う。私も大好きである。
こんな話だ。

道端で酔いつぶれているところを拾われて公爵様の家に運ばれ、体を洗って服を着せられ、公爵様のベッドに寝かされる。そして目を覚ますと、周りからちやほやされ、「あなたはこれまでずっと正気を失っていたのです」と聞かされる。

エマーソンは、この話が人間の実態を見事に言い当てていると言う。
人というのは世間にあっては酔っ払いのようなもので、ときどき目を覚ましては正気に返り、自分が本物の貴公子であることを悟るのであると。

人は時々、名家の跡取りになった夢を見る。
私が、立派な王国の王子様やお姫様であると知らされたり、あるいは、有名な大きな財閥の家が、不意に私を後継者に指名してくる。
夢であるから、細かい事情をいちいち説明されるのではなく、私はそんなことをとっくに分かっているといった感じだ。
ライバルが1人いるが、そいつは申し出を受けない。そんなことも、なぜか私には明白である。
つまり、私は、押しも押されもしない後継者である。
指定の大学を出ろと言われているかもしれないが(それもなぜか私には分かっている)、入学試験は名前を書いておけば(あるいは書かずとも)合格と分かっているし、何なら無試験でも良いのだ。
映画『フォレスト・ガンプ』のフォレスト・ガンプは、絶対に合格出来ないはずの大学に、アメリカンフットボールの実力で入り、講義には一度も出なくても修士号まで取れたが、私は別に、アメフトも何も出来なくて良い。
大学の教授も学長も機嫌を取ってくれるので、悠然と大学を楽しむか、あるいは、一度も出席しなくても卒業出来る。
私はそれまで、学校や会社で日陰の存在、いや、蔑まれる存在だった。
机があるのは一番悪い場所で、他の者は立派な回転椅子なのに、私のは木製の四つ足の椅子で、しかも、ガタがきている。
扱いも最悪だった。
だが、もう退職届(退学届)は出してあり、私が、あと少しでいなくなることは皆知っているが、誰もが、どうでもいいことと無視するか、時に、係の者が、どこかに置き忘れていた私の持ち物を黙って持って来て机の上に置いていって黙って去る。
皆にも、私がどうなるか教えたたい気持ちもあるが、まあ、明日は彼らと違って大金持ちの身だ。どうでも良い。
ところが、誰か1人、近くに来て、自分の連絡先を書いた紙を私に渡す。
その人は、私が名家の後継者になることを知らない。しかし、「いつでも連絡して下さい」と言う。とても嬉しい。
この人の面倒を見る力は十分にある(と、やはり私には分かっている)。
私の家が支配する大会社の重役にしてやろうと思う。
すると、不意に、誰かが、「君はどこに行くのだね?」と尋ねる。
この会社(あるいは学校)で一番の実力者(社長、あるいは、校長)で、これまで自分を気にかけてくれていたのだ(と不意に分かる)。
私は、「京都の大きな貴族の家に住むことになっています」と、慎ましくも嬉しい報告をする。
おっと、「その家は私のものになります」と付け加えないと。
「そうか」
その実力者は短く言うが、喜んでくれていることが(なぜか)分かる。

もし、そんな夢を見たら、その感覚をしっかり覚え、忘れないことだ。
なぜなら、それがあなたの真の姿なのだから。
その感覚を失わずにいれば、実際は夢と変わらない現実世界もそのようになる。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシに尋ねた。
「夢と目覚めの違いは何ですか?」
マハルシは答えた。
「夢は短く、目覚めは長い。その他に何の違いもない」
江戸川乱歩もバシャールも、夢の方が本当なのだと断言している。
あなたの内なる神が、すっかり酔っぱらって現実認識を誤っているあなたに、夢で真実を教えてくれているのである。








  
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