人間は、知性、健康、人格などを低下させるマイナス要因を、少なくとも数百、先天的、後天的に持つ。
健康面のマイナス要因によって、病弱になったり、持病があったりするし、知性面でのマイナス要因によって、頭が悪く、学習能力がなく、記憶力が低かったりする。
人格面でのマイナス要素によって、下劣な性格になり、不道徳な欲求に負け、犯罪を行うこともある。
こういったマイナス要因は、自分で直接には自覚出来ず、大抵の人は、自分は少なくともそれなりに頭が良く、有能で、道徳的だと思っているが、もし、自分の言動を冷静に客観的に確認することが出来れば、ショックを受けるよりも、事実(自分の無能さや不道徳性)の認識を拒む。
「あの時は、たまたま虫の居所が悪かったんだ。全く、なんで僕があんなことをしたのか、全く信じられないよ」
「あんなこと、普通は簡単に出来るんだ。風邪気味でコンディションが悪かったのかもしれない」
「審判が相手選手にえこひいきしているんだ。判定がフェアなら結果は違っていたさ」
「あの時は酒が入ってたんだ」
こういった言い訳が、今日も沢山言われているだろう。
しかし、言っている本人にとって、これらは言い訳ではなく、本当に、そういった理由で、自分はたまたま失敗したと信じているのだ。
たとえ、
「僕は駄目なやつだ」
と言ったとしても、「皆は、僕に対し、『そうじゃない。お前はついてなかっただけだ』と言ってくれるはずだ」と信じているのだ。

だが、結婚して子供が出来たり、部下を持つ身になれば・・・あるいは、単に歳を取れば、得体の知れない不安や憂うつに苦しめられるようになり、生きるのが苦しくなる。しかし、その原因である自分のマイナス要因は自覚出来ないので、「なぜ私だけがこんなに苦しまないといけないのか」と、否定的な人生観を持ったり、あらゆるものに対する恨みが起こることも多い。
こんな問題の解決には心理学だと思って、心理学の通俗的、あるいは、専門的な本を読んでも、心理学は全く実用的でないことが分かる。
また、世の中には、人間の問題を解決する可能性のある優れた書物もあるが、残念ながら、それらの本を書いたのは、少なくともIQ140以上の優秀な人達で、彼らは、普通の人は、彼らの本を1年や2年で理解出来ないことが分からないのだ。彼らは、「私の本は少し難しいかもしれないが、熱心に読めば3日で十分に理解しながら読めるに違いない」という大誤解をしているものだ。

宗教というのは、現状肯定を指向している。
つまり、状況が悪くても、「人生、こんなものだよ」と諦めてしまえば、何とかやっていけるという、一面の真理から始まっているので、真面目に信仰する限り、良い面もある。
例えば、結婚出来なくても、「まあ、いいじゃないか」と思えば、どこかさっぱりするものだ。
能力が低くて仕事に就けなくても、「まあ、生活保護をもらえばいいじゃないか」と諦めれば、案外、悠々と生きられるものである。
宗教は、誰にでも、最低限の実用的な考え方を提供するので、ある意味、必ず必要なものだ。

一方、簡単な方法で、現状を変えてしまえるといった嘘を言うのがカルト宗教だ。
おそらく、金だけ取られて、いい思いは何も出来ないので、カルト宗教は無視することだ。

で、どうすれば良いかというと、本当に現状を変えたいなら、自分を自覚するしかない。
例えば、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の女』を読んで、「ああ、俺はこの男達の仲間だ」と思えば解決策が自然に浮かんでくる。
ああいう、誌的に美しい作品が良い。
他にも、ディケンズの『クリスマスキャロル』が、季節がら、良いかもしれない。もちろん、スクルージが自分なのである。
尚、難しいが、本物のメソッドが書かれている本もご紹介しておく。








  
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