子供の時、みだりにというほど多くはないかもしれないが、その気になれば、造作もなく起こせた、大人にはあり得ない業(わざ)のことを覚えている者は少ない。
私は、かなり大きくなるまで、そんなことが出来たし、今でも、時々やっているかもしれない。
そのせいもあって、今でも子供の時にやったものだって覚えているのだが、例えば、庭に猫をいっぱいに集めたり、夜空の星の1つを土星にしてしまったり、テレビ放送を好きなように変えてしまったり、目をつぶって交通量の多い車道を横切ったりなどしたものだ。
丁度、1983年のアメリカ映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』の第3話 「こどもの世界(IT'S A GOOD LIFE)」で、アンソニーという少年がやったものと同じようなものだ。

大人がそんなことが出来ないのは、まあ、大人にそんなことが出来たら大変だと言う現実論もあるが、きっと、大人になるにつれ、精神が、この重い物質世界に順応し過ぎるのだろう。
そこで、そのやり方を思い出してみようとしているのだが、それほど難しいことではないかもしれない。

いつまでも本当に子供のようである大人は天才なのだが、ロシアのバレリーナだったヴァツラフ・ニジンスキーがそうで、彼は、そのやり方を知っていたのだろう。
私の家に、『写真集 世界の子供たち』(新潮社)という、古い写真集があるが、その66Pに、次の写真と共に、ニジンスキーの言葉が書かれている。

止まる
跳び、そして止まる、それだけのことだ

彼は、空中で静止出来た。
まあ、だから、映像は一切残されていない。当局に全部処分されたってやつだ。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の第2シーズンのアニメのエンディング曲『止マレ!』って、ここから来てるんじゃないかなあ。ねえ、畑亜貴さん(笑)。

つまりね、跳んで、一瞬でイメージしないと静止出来ないのだ。
イメージすれば、それが世界に現れるが、一瞬でイメージしなければならないのだ。
つまり、こうだ。
あなたが、白紙のキャンバスに楽園の絵を描くとすると、一瞬で楽園の風景が思い浮かぶ。
その通りに描けば名画になるが、普通の人は、あれこれ考えてイメージを駄目にしてしまうので、ちゃんと楽園が描けないのだ。
それと同じで、長々、時間をかけてイメージしたことは実現しない。
息を吸って止め、一瞬でイメージするのだ。
子供の時は、それをやっていた。
今でも、やろうとすれば出来るのである。








  
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