フランスの有名な心理療法家エミール・クーエの診療所に、自力で歩くことが出来ず、担ぎ込まれてきた患者がいた。
クーエは患者と少し会話し、患者にある言葉を繰り返すよう指示した。
十分後、患者は元気に走り回っていた。

この話で思い出すのは、哲学博士のトーチェの著書『トーチェ氏の心の法則』の中の話だ。
ある未開の地方では、脚が折れた人が元気に走り回っていたのだが、トーチェの説明によれば、この地の人達は、脚が折れたら走れないという固定観念がないので、脚が折れたからといって走れないわけではないのだ。
言うならば、彼らは、脚が折れたら走れないということを知らないのである。
また、この本には、こんな話がある。
2人の酔っぱらった男達が、4階の窓の敷居を乗り越えて落下し、すごい音がした。
だが、警官が駆け付けると、男達は、
「ちょっと足が絡んじゃいました」
と言って、ご機嫌な気分で歩いて行った。
彼らは、自分達は平地を歩いていて、ちょっとした敷居でつまづいて転んだとしか思っていないので、それなりのダメージしか受けなかったのだ。
言い換えると、彼らは、自分達が4階から落下したということを知らず、平地で転んだと認識したのだ。
もし、酔っぱらって意識不明になって落ちたのなら、世間的な固定観念に従って死亡したかもしれない。

世の中には、全く食べなくても生きている人がいるらしい。
そんな人達は、「食べないと死ぬ」という固定観念を持っていないだけかもしれない。
一方、普通の人間は、「食べないと死ぬ」という固定観念を持っているから、食べないと餓死するだけかもしれない。

ずっとベジタリアン(菜食主義)を続けていた人が、酷い肌荒れになった。
その人は、菜食だけでは、必須アミノ酸のいくつかが摂れず、それが肌に重大な悪影響を及ぼすと書かれた本を読んだのだった。
だが、世界には、トウモロコシしか食べないとか、ある種の芋しか食べないが、健康で長寿な民族もいる。
そんな民族の人々は、必須アミノ酸という知識がないのだ。

我々は、ひょっとしたら余分かもしれない知識を沢山持っている。
そして、知識の中には、自分では知らないと思っていても、憶えてはいないが、テレビや本や学校の授業で見聞きした情報が、潜在意識に入り込んでいる場合もある。
そもそも、潜在意識の情報は、意識的に憶えたことより、気付かないうちに入り込んだものの方がずっと多いのである。

最初の、脚の障害で歩けなかった人が、クーエの診療所に担ぎ込まれた話に戻る。
例えば、この患者は、自分は膝のリウマチで歩けないことを知っていたとする。
この患者の、「膝リウマチが酷くなると歩けない」という固定観念を消すのは難しいし、クーエもそんなことはやらなかった。
だが、「私は膝リウマチを病んでいる」という観念を消すことは出来る。
それには、どうすれば良いかというと、患者に、早口で自己暗示の言葉を唱えさせるのである。
この場合だと、「リウマチが治った」で十分だ。
だが、「リウマチが治った」と早口で唱えることは難しい。
しかし、「治った」や「消えた」なら簡単だ。
そして、最も良いやり方は、
「治る、治る、治る、・・・・治った」
と唱えるのである。
「治る」と早口で繰り返し唱えているうちに、思考や判断が消え、受容状態になる。
「治る」は、1分くらい繰り返すと良い。
そして、「治った」と言うことで、本当に治ってしまう。
以上は、G.H.ブルックスとエミール・クーエの『自己暗示』という本に載っているので、興味があるなら見ていただきたい。
尚、クーエの自己暗示は、病気を超えた範囲でも有効である。
病気であれば、上で述べた、「治る…治った」「消える…消えた」のいずれかで十分と思う。
一般的なことであれば、例えば、何かを出来るようになりたいなら、「出来る、出来る、・・・、出来た」だし、何かになりたいなら、「なれる、なれる、・・・、なった」などが考えられる。
そして、出来るような態度、なったような態度でいれば、実際、出来るし、なってしまう。
態度は事実より重要であるというのは、成功法則の基本である。
尚、自己暗示は、簡単に使える人とそうでない人がいるが、うまくいかなくても、多少練習すれば出来ると思う。








  
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