マントラ(真言)は、宗教の修行として、長時間、声に出して唱えられることが多い。
その場合は、独特なリズムで唱えられる。
念仏でも、「なーんまいだーぶ」といった節回しで、朗々と唱えられる。
なぜ、そのようなことをするのかというと、トランス(変性意識状態。通常とは異なる意識状態)に入るためで、人間は、トランスに入ることで、超常的な能力を呼び起こす。
ただ、昔の寺などでは、トランスなどの人間の意識の理解が十分ではなく、長時間、声を出してマントラを唱えることで、身体が衰弱し、脳も異常状態になって、幻覚を見ることも多かったと思われる。
その幻覚の中で、神や仏の姿を見て有り難がったりして、おかしな方向に行ってしまうことも多かったに違いない。
親鸞だって、若い頃、過酷な念仏修行をやらされているうちに、阿弥陀如来の幻覚を見たが、彼の場合は、「これはおかしい」と気付いて、寺を去り、修行をやめたそうだ。

ただ、無理のない範囲でマントラを唱え、良いトランスである超越状態に入ることは利益のあることと思う。
お寺で唱えられる、阿弥陀如来や観世音菩薩、あるいは、大日如来や、その他の、仏・菩薩の真言は、元々、語感が良く、適度なリズムで唱えることで、容易に浅いトランスに入ることが出来る。
それだけではなく、それぞれのマントラは、人類の共通の意識である集合無意識の中の独自のエネルギーと共鳴することで神秘的効果を発揮すると思われるが、ここらは、客観的証明が不可能なので、試すしかない。しかし、そんな高次元的効果は、あると考えて間違いないと思う。しかも、単にあるだけでなく、つながっている力そのものは強大なので、唱える者によっては、驚異的な力も発揮出来るのである。役小角(えんのおづぬ)のような修験者が、超能力と思える力を発揮したのも、そのような仕組みによるのかもしれない。

今は、YouTubeで、僧がマントラを唱える声を聞かせてくれるものも、容易に見つけられる。
例えば、阿弥陀如t来真言であれば、
【YouTube】阿弥陀如来梵音
で、一定のリズムで唱えている様子を1時間も聞くことが出来る。
(「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」と唱えている)

ただ、我々は、声を出さず、心の中で唱えると良いと思う。
僧が声を出すのは、指導するという目的があり、また、修行者が声を出すのは、ちゃんと修行しているか、上級僧が監視する目的もある。
だが、我々の場合は、どちらも不要だし、声を出してマントラを唱えることは、いろいろ不都合もある。
それに、心の中で唱えた方が、深い心(超越意識)に入って行き易い。
また、いつでも、どこでも、なるべく多く唱えるという意味でも、心の中で唱えるべきである。
そして、YouTube動画にあるようなリズムは、長年の実践で導き出されたもので、参考になると思う。
(節をつけて唱えるか、淡々と唱えるかは自由であるが、自分に合う節で唱えると、超越意識に入り易い)
マントラを唱え、余計なことを考えず、高次の力(神仏の力)にゆだねれば、邪な想いがない限り、全てうまくいくと思う。








  
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