価値ある1つのことをずっとやり続ければ成功出来るのだが、1つのことを継続して続けることはなかなか出来ないものである。
また、「子供の時から20年ピアノをやっています」とか「子供の時から勉強に励み、一流大学を大学院まで出ました」と言っても、単に親に「やらされた」のでは駄目で、初めは親にやらされたとしても、自主的にやるようになったものでなくては成功出来ない。その場合、親の方針とは大きくズレ、仲たがいしている場合が多いと思う。

引き寄せや、潜在意識の法則で成功を目指しても、多くの人が駄目な理由は、1つのやり方でやって、なかなかうまくいかない時、「あっちのやり方の方が良いのでは」と思って、別のものを始めるといったことを繰り返している場合が多い。
私はよく、成功している社長さんの社長室や書斎にお邪魔したことがあるが、印象的なことは、ジョセフ・マーフィーやナポレオン・ヒルなどの成功哲学に関する古い本が、必ず1冊だけあることだった。
どの本も、書いてあることは、つまるところ同じなので、一冊の本を徹底して読み込む者が成功するのだと思う。

また、教育のトップ企業のマネージャーさんと話をしていたら、東大生に関する、こんな話があった。
有名な教育ビジネスの会社では、頭の良い学生の能力が役に立つので、高度な仕事をしてもらって高給を払っているのだった。
そのマネージャーさんが、こんなことを言う。
「東大生はやはり優秀だが、その中でも、特に素晴らしい学生がいて、仕事でも並外れた成果を出す。その学生に、どうやったら東大に入れるのか聞いてみたら、そんなのは簡単で、参考書を1冊、丸暗記すれば良いと言う。どの参考書も同じなので、1冊覚えれば十分なのだそうだ」
無論、どの参考書が評判が良いかは、すぐに調べが付くので、いったん選んだら、他の本には見向きもせず、ひたすら覚えれば良いのだろう。
一冊をそれほど勉強すれば、自ずと、その本を補完する情報もやってくるはずである。

早い話が、学生でも、事業家でも、優秀な人間は、決断力や集中力があり、その東大生の場合も、参考書を自分で選び、自主的にそんな勉強をしっかりと続けたのだろう。
そこにいくと、我々、普通の人間は、決断力や集中力が劣るのである。

だが、決断力や集中力が低くても大丈夫である。
若くして学習塾経営で成功したある事業家が、著書の中で、「三無に徹せよ」と書いていた。
「三無」とは、元々は仏教用語で、難しい意味だが、昔、「現代の若者の三無主義」として「無気力、無関心、無責任」が挙げられたのが、今でも通用するようだ。
しかし、その事業家が「三無に徹せよ」と言った「三無」とは、「無理、無駄、ムラ」だ。
これが、ちょっと、味わい深いのである。
「無理、無駄、ムラ」は当然良くないが、「無理でもやってみる」「無駄でもやってみる」「ムラがあってもやり続ける」というふうにやれば、これこそが成功の秘訣なのである。
「無理」「無駄」は、割と分かり易いが、「ムラ」が興味深い。
つまり、成功者は「無理なことでもやった」し、「無駄と知りつつもやった」のだが、「ムラ」はなかっただろうと思うかもしれない。
しかし、そうではない。偉大な人物にだってムラはある。
だが、普通の人は、ムラがあるからと、誰かに止められてやらなくなったり、自分でも「こんなにムラがあったらうまくいかない」と思ってやめてしまう。
しかし、凡人でも成功する者は、ムラがあっても、なんとなく、またやったりしているうちに、積もり積もって力になったり成果が出てくるのである。

七田眞氏の本に出てくる、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたホームレスのように、本当に1日中唱え続けたら、短期間で、一億円が2回当たったり、ローマ法王に謁見したりといったことに匹敵する奇跡も起こるに違いない。
しかし、普通の人は、最初は、1日数十分唱えても、数日で、どうも無駄な気がして、別のことを始め、「神様の奇跡が起こる」を唱えるのをやめてしまう。
だが、それでも良いから、思い出したら、また、「神様の奇跡が起こる」と唱えれば、いつかは奇跡も起こる。
また、ジョセフ・マーフィーの本を、数日は熱心に読んでも、飽きてしまって放りっぱなしになっても、十年くらい経って、なんとなく読み返したら、以前より、良さが分かるようになり、その後もムラのある読み方をするが、なんとか続ける・・・というふうにやったら、なかなか成果は出なくても、いつかは成功するのである。
だが、やはり、早く成果を出したいなら、粘り強く続けるべきであるが、多少のムラはあっても良いのである。








  
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