最近、夢の中に、昔、勤めていた会社の同僚が出て来て、彼らに苦しめられている(笑)。
苦しめると言っても、向こうが悪いのではなく、彼らが、私の行いを正当に非難するのだが、私がそれに対抗出来ないのである。
まあ、夢の中だから、他愛もないことばかりだが、例えば、こんなことである。
私が、昔、勤めていた会社の中にいると、よく見知っている2人の女子社員が、「その靴、いけないんだ」と言う。
この会社の中では、まるで学校のように、上履きに履き替えないといけないのだと言う。
いや、私はそんなこと、全然知らないぞ・・・と思いながら、他の同僚を見ると、彼らは気まずそうな顔で黙っている。
つまり、誰も教えてくれなかったのだ。
しかし、それは、同僚とほとんど会話をしなかった私の問題であるということになる。
そして、夢の中だけでなく、実際に、私には、そんな問題があったのだと思う。

あるいは、やはり、夢の中で、昔、勤めていた会社にいると、大勢の男達がやって来て部屋を占領してしまい、私は、部屋の隅どころか、ドアの外に追いやられる。
やって来た男達のリーダーらしい、アクが強そうで貫禄ある男が、私に、「おや、君は場違いなようだ」と嘲るように言う。
すると、私の上司が、女子社員に耳打ちしているのが見えたが、何を言っているかは見当がついた。
その女子社員が私のところに来て、「今日は、好きな所に行くことを許可します」と言う。
夢でなく、実際に、私は、いつでも勝手に好きなところに行っていたのだった。

なんだか、私の弾劾裁判のような夢である(笑)。
『マジック・ストーリー』(翻訳:『人生を変える魔法の物語』等)という短編小説の形の自己啓発書で、主人公の男は、自分の分身が、自分の昔の勤め先を毎日訪れるのに付いていったが、分身がそこに入って行っても自分は入って行くことが出来ず、見ているだけだったという話があるが、それに少し似ていなくもない。入って行けないのは、入って行けないような後ろめたい理由があるからだ。
また、映画『パピヨン』で、主人公のパピヨンが、夢の中で、砂漠の中の裁判所で、自分が裁判を受けているという場面を思い出す。
裁判官はパピヨンに「お前は有罪だ」と言うが、パピヨンは「俺は殺していない」と言い返す。
すると、裁判官は「その罪ではない」と言う。
パピヨンが訝(いぶか)って、「では、何の罪だ?」と問うと、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と言う。
それを聞き、パピヨンはうなだれる。
「確かに有罪だ・・・認めるよ・・・」

『マジック・ストーリー』の主人公の男は、夢から覚めた時、実際に目覚めて人生をやり直す。
『パピヨン』のパピヨンは、脱獄して自由を手に入れると、自分の戦いを始め、伝説の人物になった。

「人生に意味などない」とか「人に価値などない」と言う者がいるが、人生にも人間にも、値打ちがある。
しかし、時間は限られており、その中で、その値打ちを生かさなければならない。
要は、生き様が大事なのだ。
宮本武蔵が、「吾、ことにおいて後悔せず」と言ったのは、「どんな結果になろうと後悔しない」という意味ではなく、「私は後悔しないよう全力を尽くす」という意味でもないかもしれない。
ひょっとしたら、「もっと後悔しないようにやっておけば良かったなあ」という後悔の言葉かもしれない。
彼だって、心残りみたいなものは、いっぱいあったのだと思う。
それで、後の時代の人に、「後悔しないようにやれ」と言いたかったのかもしれないが、そう言われて、「はい、後悔しないようにやります」なんて思う者はいない。
結局のところ、皆、後悔する。
それで、「吾、ことにおいて後悔せず」という理想のみを掲げたのだろう。

自我主体、左脳主体、理屈主体で行くと、後悔する。
天主体、右脳主体、勘主体で行くと、それほど後悔しない。
それなら、今の日本人の人生は、最後に後悔する場合が多いに違いない。
つまり、やりたいことはやっておかないと後悔するということだ。
やりたいことをしないことを、「人生を無駄にする」と言うのだと思う。
それは罪なのである。








  
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