人間は、平常なだけの生活では、心からの満足は得られない。
「今ある恵に感謝」とか「生きているだけで丸儲け」という考え方の良さも認めながら、やはり、面白いことが起こって欲しいのである。
そして、揺らぎは必ず起こる。
ゲームで言うクエスト(ミッション)のようなもので、ゲーム(人生)そのものに影響するかどうかは分からない、ちょっとした冒険とか、遊びに誘うような出来事である。
それに乗るか乗らないかは自由だし、実際、乗らない方が良いものもあり、それに乗ったために、悪い方に行くこともある。

そんな冒険の入り口が見えた時に、どうするかで人生が大きく動くことがある。
これに関し、ダスキン創業者の鈴木清一と、芸術家の岡本太郎が、似たことを言っている。
鈴木清一は、「損な道を行く」で、岡本太郎は、「破滅の道を迷わず選ぶ」である。
普通は、得な道を行き、破滅への道は避けるものである。
私は、その言葉を裏付けるような、岡本太郎の逸話を憶えている。
岡本太郎は、戦争前にフランス留学をしていたことが、軍部に悪い意味で目を付けられたのか、30歳にもなって、18歳くらいの若者達と共に、二等兵(最下級の兵隊)として、中国に送られた。
そして、軍の上官にはロクでもない者が沢山いて、夜中に二等兵達を一人ずつ、自分の部屋に呼び出し、しごきとして殴るということがよくあったらしい。まあ、歪んだ楽しみだろう。
そして、1人の上官に関しては、4人目が一番調子が出る・・・つまり、パンチの威力が最高になるらしい。
そこで、誰も4番目になりたくないが、岡本太郎は、必ず4番目に行ったという。
鈴木清一の損な道も、同じようなものだろう。

別に、岡本太郎や鈴木清一の真似をする必要はないが、何かの道が開いた時、「これは得だ」と思ったら、ちょっと疑うくらいのことはした方が良い。
大抵、ロクな道ではないから。
無論、嫌な道を選ぶ必要もあるまい。
人によっては「面白そうな道を選べ」と言うが、そう言われたら、つい、楽そうな道、得そうな道を選んでしまうものだ。
何より、普通の人は「安全な道」を選ぶが、それはもう奴隷の道で、日本では、もうずっと前から、若者が安全な道を選ぶようになってしまい、日本がすっかり駄目になった。

森の中に、2本の道があり、一方は森から出る道で、もう一方は、深い森に迷い込んでしまう道である。
そんな時、どうやって道を選べば良いだろう。
岡本太郎なら、「よし、深い森に行ってやる。右に行こう。右が深い森に行く道であれば良い」と思い、颯爽と歩き出すことだろう。
まあ、そう思っていけば、本当に深い森に行っても後悔はすまい(笑)。
親が選びそうな道の反対を選ぶというのも良い方法だ。普通は、親の選択は大抵間違っているからだ(笑)。

ヒントになる良い話がある。
1990年代のことだが、当時、マイクロソフト社長だったビル・ゲイツは、社長室に5日間こもって、ある難題について考えていた。
それは、「インターネットを無視するか、あるいは、インターネットを重視するか」である。
当時は、インターネットはパソコンオタクの趣味のようなものと思われていて、そんなに発展するとは思われていなかったのだ。
5日間考え、ゲイツの考えは決まった。
インターネットは、やはり、大したものではない。マイクロソフトは、インターネットとは別の道を行く。
ゲイツは、社長室から出ると、全社に号令した。
「我々は、全面的にインターネットに適応する」
これは空想だが、多分、当たっている(笑)。

普段、「神様の奇跡が起こる」と唱えていると、右を選んだ途端、黒猫が横切ったりして、「ああ、左だ」とぱっと思うものである。
ゲイツも、「インターネットを無視する」と言いかけた途端、愛用のペンが落っこちたのかもしれない。








  
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