無神論にも、いろんな考え方があるが、私は、無神論者と言えば、物理学者のスティーヴン・ホーキングと、発明家のレイ・カーツワイルを思い浮かべる。
ただ、彼らに共通するのは、「人間がいつか神になる」だと思う。
ホーキングは、今はまだ科学が未熟で、人間に分からないことが沢山あるが、いずれ、全てが分かるようになると言う。その時に、人間は神になったと言える。
カーツワイルは、はっきりと「神はいないが、いずれ誕生する」と言い、やがて誕生する神は人間とテクノロジーの融合体だ。つまり、今はテクノロジーが未熟で、出来ないことが沢山あるが、いずれ、発達したテクノロジーは全てを可能にする。人類は、銀河を越え宇宙を征服する。そんな人類が神なのである・・・というわけだ。

だが、人間に、それほどの可能性があるなら、人間の中には神がいると考えた方が良い。
テクノロジーの未来を、驚くほど正確に予言してきたカーツワイルは、2045年頃にAI(人工知能)の知的能力は人間を超えると言うが、人間の脳が今の形になったのは20万年前だ。
その、未来の超科学がようやく到達する人間の脳は、どうやって出来たのだろう。
カーツワイルの言い分では、偶然に出来たことになってしまう。
それを可能にしたのは、生物の遺伝子情報システムであるが、人間にとっては神秘としか言えないほど高度な遺伝子情報システムも偶然に出来たことになってしまう。

アナログ式腕時計を完全に分解して、全ての部品をプールの中にばら撒き、プールに水流を起こすと、偶然に時計が元通りに組み上げられることも、確率は極めて低いながらゼロではないと言う。
かといって、そんなことが実際に起こったりはしない。
あるいは、猿が紙に無造作にインクを付けていたら、大文学や百科事典が偶然に出来上がる可能性もゼロではないかもしれないが、実際には、そんなことは起こらない。
脳や遺伝子情報システムが偶然に出来たというのも、それらと同じことである。

それなら、宇宙誕生以前から神が存在していたと考える方が自然である。
(まあ、その神が偶然に出来たとまで言うなら、もう何も言うことはないが)
けれども、カーツワイルの「人間がいずれ神になる」という考察は的外れではない。
だが、実際は、人間は既に神であるが、神でないように考えたり、振る舞ったりしているだけだ。
なぜ、そんなこと(神でないように振舞う)をするのかというと、それには諸説あるが、そこは今は考えないことにする。
とにかく、人間は元から神なのである。
そして、おかしなこと・・・と言って良いのかは分からないが、「自分が人間であることを忘れた時に、神の能力の一端を見せる」のである。
例えば、我を忘れた時に、物理的に発揮出来るはずがない力を発揮したり、祈りに集中し切って忘我の状態になった時(法悦の状態と言う)に奇跡を起こすことがある。
これらは、やはり、自分が人間であることを忘れた時に、内にいる神の力がわずかかもしれないが発現したのである。

そういうわけで、人間を超えた、神の領域の力を発揮するには、人間であることを忘れないといけない(変な言い方だが)。
そして、それは難しいこととは思えない。
例えば、自分が病気だとして、自分が病人であることを忘れるにはどうすれば良いだろう?
それは、何かに意識を集中しさえすれば良い。
そして、ずっと何かに集中し、病気であるという意識を持つ暇を無くすと、実際に、病気が治ってしまうことがある。
おそらく、本当に、意識を病気とは別のものに完全に持っていくことが出来れば、病気は治ってしまうのだと思う。
そして、病気を作ったのも、内なる神なのである。
さらに言えば、全ては内なる神が作っているし、起こしている。
説明を抜きに言えば、自分が人間であることを忘れる(これを解脱ということがある)には、「私は在る」と心で唱えるだけで良い。
なぜそうなるのかは、本1冊でも、とてもではないが語れないが、やれば分かることである。
「私」とか「神」と唱えても、同じく「私」は消え去る。「私」が消え去ることを仏教では「自己を忘れる」と言うらしいが、言い方はどうでも良い。
仏教では、自己を忘れるために、坐禅を組んだり、念仏を唱えたりするが、坐禅を組んでいる自分や、念仏を上げている自分に集中してしまって、かえって自意識を強くしてしまう・・・つまり、自己を忘れることから、より遠のいてしまう。
だから、「私は在る」と、心の中で、ゆっくり、丁寧に唱えるのが良いのである。








  
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