高次の力を使って世界を動かすにしても、人間というものは、物質次元に制約されている状態を経験するように出来ている。
早い話が、健康で見た目が良く、何らかの現実的能力があってこそ、楽しく生きられる。
ただ、健康に難があったり、見た目がひどく悪くても、能力でカバー出来る場合はある。
逆に、若い間だけなら、健康で見た目が良ければ、大した能力がなくても、うまくいくことがあるが、あくまで若い間だけである。
つまり、何だかんだ言って、現実的能力を身に付けなければならないが、そんな能力は、若い間の方が圧倒的に得易い。
高学歴であれば、そこそこの人間性があれば、大企業に就職したり、公務員になれば、大した能力がなくてもうまくやっていけたが、時代として、そうではなくなってきているし、それでうまくいくとしても、あまり楽しくはないものである。
そこで、やはり、何らかの特別な能力は身に付けておきたいものである。

私は、コンピュータープログラミングしか分からないが、何でも同じだと思う。
プログラミングを、学校の勉強の感覚で「よく勉強した」と思うレベルでやっても、全く通用しない。
一方で、「勉強した」とは全く思っていなくても、興味を持って、長年、熱心にプログラミングに取り組んできた者が、ほとんど即座に実戦で通用することがある。
どんな仕事も、勉強して出来るようになるわけではなく、ここらは、どんな仕事でも同じであると思う。
学校や塾の教師ですら、自分が勉強が出来たというだけでは、良い教師になれない。
確かに、自分が大学生の間なら、生徒と仲良くなって友達感覚で教えれば、むしろ、下手な教師よりうまくいく場合もあるが、教えられることに限界があるし、歳を取って生徒と感覚が違ってくれば、もううまくいかない。

仕事のカラクリや本質は、本当は学校の教師だって分かるはずなのだが、現実には、ほとんどの教師が分かっていない。
ほとんどの教師が、教師としてもプロではないからだ。
そりゃ、学校では、教え方がうまい教師が評判になるくらいだが、本来、教師というのは、教え方がべらぼうにうまく、どんな生徒だって勉強が分かるのが普通である。一般社会では、それが当たり前の仕事なのである。
ところが、教師は、生徒が勉強が出来ないことを、自分のせいではないことにしようとして言い訳をする。
それは、例えば、プログラマーの世界で、まともなプログラムが作れない理由を正当化させるようなもので、本来、馬鹿げた話である。
だから、学校の教師が、勉強の教え方を塾の先生に指導されるという、屈辱的なことが現実に行われているし、かといって、それをしないなら、下手な教師のままであることが多い。

学校の勉強をしっかりやる目的を、「人間として辛い目に遭わずに済むため」だと思っている人が、親も子供も学生も、あるいは、教師にも多い。
学歴さえあれば、苦しい目、辛い目に遭わず、悠々と生きられるという、馬鹿な勘違いをしているのである。
だが、現実は、たとえどんなに勉強して学歴を得ても、理不尽な目に遭わないと仕事が出来るようにはならない。
だから、子供は、理不尽な辛さに耐えられるよう鍛えてやらないといけない。
しかし、その全く逆に、子供が徹底的に甘やかされ、絶対に世の中で通用しないようになり、引きこもってニートになる者も多いように思う。
早い話が、子供に大切なことは、逞しくなることだ。心身共にね。
まず、親は、なるべく子供から離れないといけない。
息子が中学生や高校生になって、母親がくっつきたがるようなら、その息子は一生駄目と言って間違いない。
必要なことはちゃんと教えないといけないが、その他では、子供は放置すればするほど良い。
会社で仕事が出来ないとか、引きこもってニートになる者は、親がくっついていた者に決まっている。

だが、今がどうでも心配はいらない。
江戸末期から昭和初期の農民に、因幡の源左(いなばのげんざ)という農民がいた。
彼の父親は、源左が19歳の時に亡くなったが、自分が死ぬ前に源左の父親は「これからは親様に頼れ」と源左に言ったらしい。
この親様とは、神様とか仏様という意味であったと思われる。
当時なら、19歳にもなって父親を頼っていたというのも問題だが、それでも、以降は神様に頼れば良いのである。
もっと凄いのが、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠だ。
宗忠は、30も過ぎていたのに、両親が相次いで亡くなったショックで、病気になり寝込んでしまい、本当に死にそうになった。
だが、ある時、ちょっとした偶然と思うが、宗忠は、今後は、神様を頼れば良いのだと気付き、見る見る健康を回復し、短期間で超一流の神道家になった。
私も、ベタベタに甘やかされ、19歳で既に詰んでいたが、ジョセフ・マーフィーの本を読んで、神様にまかせれば良いのだと分かった。
ただ、私は、宗教がかったことは全く駄目だったが、私が読んだマーフィーの本では、マーフィーも、そんな人のために、神のことを「宇宙の活力」と書いてくれていた。
この「宇宙の活力」は、原書では、「コズミック・エナージャイザー」という、ちょっと訳し難い言葉であったが、翻訳された桑名一央氏が、うまく訳してくれたのである。
以降、苦労しなかったわけではないとは思うが、それほどではなかったし、何でもうまくいき、楽々、プログラマーやシステムエンジニアになれた。
あなたも、神様(あるいは仏様)に頼るべきである。
ただし、くれぐれも宗教団体に入ってはならない。
ジョセフ・マーフィーだって、キリスト教の牧師ではあるが、既存の教会が嫌で、そんなものと縁を切ったのである。
早い話が、まずは、ジョセフ・マーフィーを読むと良いと思う。
無論、ちゃんと鍛えられた立派な人には必要ないかもしれないが、私のような、甘やかされた自己中で、世間で通用しない欠陥人間の場合は、そうした方が良いだろう。
ちなみに、私が最初に読んだのは、『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』)である。








  
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