江戸末期の神道家、黒住宗忠が、ある時、ある武士に、
「人と神とは一体ですぞ」
と言った。
それからしばらくして、また、宗忠は、その武士に、
「人と神とは一体ですぞ」
と言った。
そして、また、しばらくして、宗忠が、その武士に、
「人と神とは一体ですぞ」
と言った時、その武士は天啓を得たという。
この話を見聞きし、何かを感じた人は、
「人と神とは一体とはどいういうことだろうか?」
と考える。
しかし、この武士は、そんなことを考えたわけではない。
単に、宗忠に、そう言われただけなのだ。
だから、この武士が分かったことを自分も分かりたければ、
「私は神と一体である」
と自分で唱えれば良い。
最も効果的な唱え方は、心の中で、丁寧に、おだやかに「私は神と一体だ」と、出来るだけ多く唱えることだ。

1967年のイギリス映画『火星人地球大襲撃』は、イギリス的な味があり、しかも、とても深い作品と思う。
太古の昔、地球に来た火星人が現代に復活し、地球をあっという間に侵略しようとする中、生物化学者のロニーとロケット科学者のクォーターマスの2人だけが状況を理解し、火星人に立ち向かおうとしていた。
ロニーは、ある作戦を思いつくが、クォーターマスは、その作戦について「あまりに単純過ぎる」と批判する。
だが、ロニーは、「火星人には、単純過ぎて分からないんだ」と言う。
上の「私は神と一体だ」と唱えれば良いというのも、単純過ぎて、今の、何でも理屈で複雑に考える人間には分からないのである。

もう1つ、黒住宗忠の話を取り上げる。
宗忠の弟子が、
「全て神にまかせれば、年の暮も安らかだ」
といった意味の歌を詠んだ。
すると、宗忠は、その歌を褒めながらも、
「全て神にまかせれば、いつも安らかだ」
といったように修正した。
この話でも、難しく考える人は、
「神にまかせるとはどういうことだろう?」
「どうすれば、神にまかせることが出来るのだろう?」
と考えてしまう。
これもまた、
「私は全て神にまかせているので、いつも安らかだ」
と唱えれば良いだけである。
それだけで、いつも安らかでいられる状況になる。

今回の言葉は、
「私は神と一体だ」
「私は全て神にまかせているので、いつも安らかだ」
であるが、もし、気に入ったら使うと良いと思う。
いつも述べるように、心の中で、丁寧におだやかに、なるべく多く唱えれば素晴らしい恵があるだろう。








  
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