世界は心が創り出している。
心の深いところに潜れば潜るほど、自分の意思で世界を改変出来る。
意識(顕在意識)でいくら考えても、世界はほとんど変わらないが、無意識(潜在意識)の深い部分に潜るほど、世界は思った通りに変わる。
潜在意識の最も深い部分(ここを超越意識とか純粋意識などと言う)にまで達すれば、世界は思うがままである。
そして、世界を変える最も易しい方法が、「私は〇〇だ」と宣言することだ。
「私は〇〇だ」と心の中で唱えれば唱えるほど、この言葉が心の深くに沈んでいくので、いずれ、世界はその通りに変わる。
(「神」という言葉を使うことにも、似た原理があり、世界を動かすが、今回は「私は〇〇だ」に絞って話す)
だから、「私は〇〇だ」と心で唱えるだけで、その通りになるのである。
しかし、現代人は、意識の浅い部分(顕在意識。左脳)だけを使うことに慣れてしまい、意識の深い部分(潜在意識。右脳)との通路が狭いので、「私は〇〇だ」と宣言しても、なかなか世界は動かず、私が〇〇になるまで、長い時間がかかり、「実現しない」と思って、諦めてしまう。
では、どうすれば良いかというと、意識の深い部分に潜るテクニックを使えば良い。
このテクニックは、相当な昔、人類が宇宙人から教わったもので、誰でも知っているはずのものだが、理由はともかく、今は、ほとんど誰も知らない。
「シークレット」とか言って、お金を取って教えられているものは、偽物である(これは個人的意見としておく)。
そのテクニックは「私は在る」と心で唱えることだ。
「私は〇〇である」と唱えるより先に、あるいは、並行して、「私は在る」と唱えれば唱えるほど、心の深い部分に潜っていくので、「私は〇〇だ」が速く簡単に実現する。
多くの賢者が「私は在る」と唱えなさいと教えたが、聞いた者が、その意味が分からなかったので、注意が払われなかった。
例えば、ニサルガダッタ・マハラジとの対話集『アイアムザットアイアム』で、マハラジは「『私は在る』が最高のマントラである」と述べたと書かれているが、読者はそこに注意をj払わない。
『マスターの教え』にも「アイアムザットアイアム」が最も偉大な言葉と書かれているが、そんなことをさりげなく扱っているだけだ(その方が良いのかもしれない。つまり、分かる者だけ分かれば良い)。
そして、ネヴィル・ゴダードが『At Your Command(邦訳:世界はどうしたってあなたの意のまま)』で、「私は在る」と唱えよと述べているが、あまり実践されていないと思う。現代の教育や世間の教義や信条とは全然違うからだろう。
だから、こう書いても、実践する者は少ないかもしれない。
しかし、やればうまくいくだろう。
心の深いところに潜れば潜るほど、自分の意思で世界を改変出来る。
意識(顕在意識)でいくら考えても、世界はほとんど変わらないが、無意識(潜在意識)の深い部分に潜るほど、世界は思った通りに変わる。
潜在意識の最も深い部分(ここを超越意識とか純粋意識などと言う)にまで達すれば、世界は思うがままである。
そして、世界を変える最も易しい方法が、「私は〇〇だ」と宣言することだ。
「私は〇〇だ」と心の中で唱えれば唱えるほど、この言葉が心の深くに沈んでいくので、いずれ、世界はその通りに変わる。
(「神」という言葉を使うことにも、似た原理があり、世界を動かすが、今回は「私は〇〇だ」に絞って話す)
だから、「私は〇〇だ」と心で唱えるだけで、その通りになるのである。
しかし、現代人は、意識の浅い部分(顕在意識。左脳)だけを使うことに慣れてしまい、意識の深い部分(潜在意識。右脳)との通路が狭いので、「私は〇〇だ」と宣言しても、なかなか世界は動かず、私が〇〇になるまで、長い時間がかかり、「実現しない」と思って、諦めてしまう。
では、どうすれば良いかというと、意識の深い部分に潜るテクニックを使えば良い。
このテクニックは、相当な昔、人類が宇宙人から教わったもので、誰でも知っているはずのものだが、理由はともかく、今は、ほとんど誰も知らない。
「シークレット」とか言って、お金を取って教えられているものは、偽物である(これは個人的意見としておく)。
そのテクニックは「私は在る」と心で唱えることだ。
「私は〇〇である」と唱えるより先に、あるいは、並行して、「私は在る」と唱えれば唱えるほど、心の深い部分に潜っていくので、「私は〇〇だ」が速く簡単に実現する。
多くの賢者が「私は在る」と唱えなさいと教えたが、聞いた者が、その意味が分からなかったので、注意が払われなかった。
例えば、ニサルガダッタ・マハラジとの対話集『アイアムザットアイアム』で、マハラジは「『私は在る』が最高のマントラである」と述べたと書かれているが、読者はそこに注意をj払わない。
『マスターの教え』にも「アイアムザットアイアム」が最も偉大な言葉と書かれているが、そんなことをさりげなく扱っているだけだ(その方が良いのかもしれない。つまり、分かる者だけ分かれば良い)。
そして、ネヴィル・ゴダードが『At Your Command(邦訳:世界はどうしたってあなたの意のまま)』で、「私は在る」と唱えよと述べているが、あまり実践されていないと思う。現代の教育や世間の教義や信条とは全然違うからだろう。
だから、こう書いても、実践する者は少ないかもしれない。
しかし、やればうまくいくだろう。
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「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
の組み合わせを書かれてから、ずっと心の中で残っていて思い続けてました。「私は在る」に関してはKayさんはずっと昔から読んでいる人は知っていると思いますが、ずっと昔から書かれていました。私もそれを見ながらあまり注意を図りませんでした。端的によくピンと来なかったのですね。でも、今回上記の2つの組み合わせを見ることで、まずはやってみようと思い立ったのです。ネヴィル・ゴダードを読んでも頭では分かっていても今一つピンと来なかったんだなと。でも今回ピンと感じで実際にやり始めて見ると少しですがわかることもある。まだ水際でパチャパチャ遊んでいる段階ですが。悩み(つまりは頭の中の妄想とおしゃべり)を止めて、今この瞬間此処に存在している事をフォーカスする力はあると今の段階では感じています。また、I AM ○○. なので、I AMはなんにでもなれる可能性を含んだ豊かな言葉であることが分かります。それが「神」につながっているのは自然に感じます。人によっては言葉遊びに感じるかもしれませんが、「存在」と「神」と「なんにでもなれる・出来る力」の壮大なトリックや神秘、思いつかないような仕掛けを感じます。