このブログで何度も取り上げた話だが、ある男性ホームレスが、教育学者の七田眞(教育学博士)氏の本を参考に、「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えていたら、2週間ほどしたら、頭に数字が浮かんだので、その通りにロト6(宝くじの一種)を買ったら一億円当たり、さらに続けたら、ローマ法王に会えることになり、それでも続けたら、また一億円当たった。

「神様の奇跡が起こる」は、「奇跡が起こる」だけでも、立派なアファーメーション、あるいは、潜在意識に向けた自己暗示である。
では、「神様の奇跡が起こる」を、「神(神様)」と「奇跡が起こる」に分け、いろんな人達が、その一方のみを唱えたら、どちらを唱えた方が良いことが起こるだろうか?
自己暗示やアファーメーションの原理から言えば、あるいは、理性で考えたら、「奇跡が起こる」の方だろう。
しかし、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻』での、イエスの教えから言えば、圧倒的に「神(神様)」の方である。
言葉の効果を測定する測定器すらあるらしいが(『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻』参照)、それを公開出来ない理由があるのかもしれない(著者は原子物理学者)。
よって、直観で判断してくれと言うしかないが、「神」という言葉には、最高の力が秘められている。
だから、本当は、上のホームレスも「神(神様)」とだけ唱えても良かったのだが、それでは、なかなか続けられないだろう。
「神様の奇跡が起こる」のように、夢のある楽しい言葉だから続けられたのだと思われる。
だが、唱える言葉は、「神(神様)」が入っていれば何でも良いのである。
「神よ、与えたまえ」でも十分である。
しかし、あまり何度も「神よ、与えたまえ」と言うのも、しつこくて気がひけると思うので、「神様の奇跡が起こる」のような言葉の方が良いかもしれない。
こういった言葉に関しては、フローレンス・スコーヴェル・シン、ノーマン・ヴィンセント・ピール、ジョセフ・マーフィーらの本を見れば、沢山、いろんなものが載っている。
まあ、ほぼ全て、聖書の引用であるが。
ちなみに、私が好きな言葉は、
「神に出来ないことはない」
だ。

ところで、さっきの「神よ与えたまえ」であるが、願いがある時や、困った時には使うと良い。
これについて、新約聖書の「マタイ福音書」で、イエスはこう言っている。
「欲しいものがあれば、父(神)に願え。全て与えられるだろう」
イエスは、そのための条件を一切付けていない。
ただ、求めれば良いのだ。
つまり、「神よ、与えたまえ」と言いさえすれば良いのである。
条件は付けないが、イエスは、その理屈・・・というか、理由を、こう述べている。
「お前達のようなロクでもない人間ですら、子供がパンを欲しいと言ったら、石を与えたりせず、パンを与えるだろう。ましてや、父(神)が良いものをくれないはずがないじゃないか」
だから、敢えて条件を言えば、それは、ラマナ・マハルシも、黒住宗忠も、あるいは、全ての賢者が同じことを言っているのだが、「神を信頼すること」「神にまかせ切って安心すること」だろう。
スーフィー(イスラム神秘主義)の諺に、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
というのがあるのだが、このラクダは、人間の心のことである。
これを、あちこちさ迷わせてはならない。つまり、安心し、心静かにして、じっとしていることだ。
「神を信用する」というのと「ラクダをつないでおく」というのは、同じことなのである。
そのために、神仏の名を唱えるナーマスマラをしたり、真言を唱えてはどうだろう?
これらは、ラクダをつないでおく優れた方法なのだ。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ